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Wednesday, September 13, 2017

添田充啓(高橋直輝)氏に性被害を受けた女性の告発を受けて

沖縄・高江の米軍オスプレイパッド新設に対する反対運動に参加していた、添田充啓(高橋直輝)氏により2014年8月に性的被害を受けた人が、9月3日に告発文をブログで発表しました。このリンクで読めます。
https://jfxaprt17.blogspot.ca/2017/09/blog-post.html?spref=fb


添田氏は、高江で昨年8月25日、沖縄防衛局職員に暴行を加えたという公務執行妨害と傷害の容疑で昨年10月4日に逮捕されて、今年の4月21日まで拘束されていました。現在裁判中です。これについては高江や辺野古の運動で指導的役割を果たしてきた山城博治さんのケースなどと一緒で不当逮捕・不当拘束であり、無罪が勝ち取られるべきものです。しかし添田氏については、過去にこのような性的加害を犯しておいて被害者に誠実に向き合っていないのです。向き合っていないどころか被害者からの連絡を遮断し、現在は「記憶にない」などと言って弁護士から助言を得ながらこの件に責任を取ることから逃げようとしています。本当に記憶にないのなら当初「ごめんね」というメッセージを送ったり、反省の様子を見せたり、不十分とはいえ謝罪文を送ったりするはずはありません。

被害者は添田氏への恐怖から、また、運動に不利になってはいけないという気遣いから、長い間口を閉ざしてきたのです。そのような被害者の心情を思うと、私たち運動側(「現場」や沖縄県内の人たちだけではなく、県外や国外の、高江や辺野古など琉球弧の軍事拡大に反対してきた者たち)はこの件を隠蔽したりうやむやにしたりすることは決して許されず、真正面から取り組むべきことなのではないかと思います。添田氏が、この告発文で被害者が求めるような、被害者が納得するような誠実な対応をしたという報告が被害者自身からあるまでは、添田氏への支援を一切やめるべきだと思います。反差別運動や反基地運動は第一義的に人権運動です。その運動の関係者が人権侵害を行ったまま罪を償ったり制裁を受けたりしないままでいるということを容認したら、それはそのような加害行為がまた起きてもいいと容認していることと同じだと思います。

私は添田さんと直接のつながりはありませんが、添田さんが保釈された日たまたま沖縄にいて、那覇地裁前で拍手で出迎えた群衆の一人でした。その日は山城博治さんご夫妻と会っており、山城さんたちと別れた直後に添田さんが保釈されるという情報が入り、深夜、那覇地裁にかけつけました。私は海外の仲間たちと、添田さんも、山城さんも、同様に不当逮捕・拘束されていた稲葉さんも、同じように支援してきました。だからこそ、この被害者の告発を読んだときに大変なショックを受けました。

私は今のまま添田氏がこの件から逃げ続けている限りは、被害者に連帯し、添田氏を糾弾し続けます。女性の多くは、大小の差はあるにせよ、性被害を人生のどこかで受ける体験をしています(もちろん性被害は女性に限りませんが)。「たかが痴漢」などといって事件を矮小化するような人がいるかもしれませんが、合意ない相手に体を蹂躙されるという体験は被害者に生涯にわたる心の傷を残します。言葉によるセクハラでも傷が長く残ります。このような性犯罪を放置するということは、結局もっとひどい性暴力や強姦を容認することにつながるのです。現に、元TBSの山口敬之氏から強姦されたということを告発した「詩織さん」の一件について法的、社会的正義がもたらされていない状況です。この添田氏の被害者の「ミサさん」についても同じです。ひどい場合は被害者を責めたりする風潮さえあります。

この一件は社会運動の中で起きたことです。このように、反差別、反軍事といった人権を守るための運動の中で暴力、性犯罪、セクハラ、パワハラが起こることはあります。しかしそういうとき、今回のケースのように、被害者は、運動を迫害する者を利するからといって声を上げなかったり上げづらい雰囲気の中で苦しむことが多いのです。しかしそれではいけないと思います。そうやって「正しい」運動をする中で起こる暴力を身内の恥のように思い表ざたにせずに済ませてしまおうという傾向があると、悪事が繰り返される土壌を生み出してしまうのです。

添田さん、もう一度被害者に向き合い、被害者が求める誠実な対応を行ってください。運動のみなさん、この事件を知ってください。知らしめてください。うやむやにしないでください。そして添田さんに正しい行動を求めて、それがされるまでは裁判支援を一切打ち切るという厳しい姿勢を取ってください。それは被害者のためだけではなく、加害者のためにもなることですし、ひいては運動全体のためになることです。

2017年9月13日 

乗松聡子

1 comment:

  1. オオイエトモコ6:59 am

    去年9月の「添田充啓(高橋直輝)氏に性被害を受けた女性の告発を受けて」の記事を拝
    見し、女性被害者の方に寄り添われた文章に、とても共感しました。特に
    >『たかが痴漢』などといって事件を矮小化するような人がいるかもしれませんが、合
    意ない相手に体を蹂躙されるという体験は被害者に生涯にわたる心の傷を残します。言
    葉によるセクハラでも傷が長く残ります。このような性犯罪を放置するということは、
    結局もっとひどい性暴力や強姦を容認することにつながるのです。」

    >そうやって『正しい』運動をする中で起こる暴力を身内の恥のように思い表ざたにせ
    ずに済ませてしまおうという傾向があると、悪事が繰り返される土壌を生み出してしま
    うのです。」

    と書かれた箇所に、私の気持ちを代弁して頂けていると強く感じました。本当に、有難
    うございました。
    運動内で起こされる性暴力について言及し、被害者の方に寄り添って批判された文章に
    出会えることはとてもまれなので、ブログの記事を拝見して、非常に嬉しく思いました


    実は私も、上記のブログの記事を拝見し、そこに書かれた事に一部通じるものがあると
    感じた出来事があるので、書かせて頂きます。

    私がかつて好きだったあるディスクジョッキーが関与した案件で、彼への気持ちが冷め
    てから後になって知った事なのですがー過去1990年代の彼のラジオ番組で、街で見かけ
    た女性への、無許可でのストーカー紛いの企画を行い、女性が家へ帰るまでをゲリララ
    イブで実況放送していたのです。
    しかも尾行した相手がラジオ局の大株主企業の重役「令嬢」であった途端にその企画が
    問題となり、打ち切られました。

    こうしてこのディスクジョッキーは、(番組関係者と共に)女性への境界侵犯的暴力とい
    う性的加害に関与したばかりか、酷い出自差別にまで手を染めたというのに、社会は彼
    を非難せず、誰も糾弾も制裁もせず、
    そして彼は社会的地位もキャリアも失うこともなく、日本の公共放送の、良質な教養文
    化番組に出ることさえ出来ています。そしてそれは、今の政権に批判的な意識の高い人
    々、社会運動に関わる人々に支持されています。

    私はこれを知った時、大株主企業の「令嬢」でない、立派な豪邸にも住んでいない女性
    である私達は、プライバシーを合意なしに晒されて多くの人間達の快楽のための見世物
    にされても許される、そういう存在なのか?という怒りと悔しさを、強く感じました。

    (まだストーカー規制法が出来る前の事ですが)上記のストーカー紛いのラジオ番組の企
    画に関わる一連の事が、今に至るまで何も批判も糾弾もされず、世間でもほとんど無か
    った事にされ忘却されている事、
    そして彼が自由に仕事も地位も失わず活動出来ているその陰で、あの企画で被害を受け
    た女性達が忘れられ、黙殺されている事を思い起こし、
    伊藤詩織氏の著書名にもなった「ブラックボックス」の存在を思わずにいられませんで
    した。

    その彼が出演している日本の公共放送の教養文化番組では、去年大岡昇平の「野火」、
    そしてハンナ・アーレントの「全体主義の起源」について取り上げられていました。
    こうして、テレビ番組において名著を通じて戦争の実体と本質に迫る試みを行うこと、
    また全体主義の仕組み、成り立ちについて考察し、今の排外主義とファシズムが蔓延る
    世の中に異議申し立てを行うという取り組みを、私はとても稀有ですごいものだと思う
    し、一切否定したくはありません。

    しかしかつて性暴力加害(ストーカー)まがいの企画(そして女性への出自差別)に関与し
    た人物が、何も裁かれず、批判も糾弾もされず、地位もキャリアも失うこと無く、果て
    はその公共放送の教養文化番組にまで出演出来ているということに、理不尽さと憤り、
    奇妙な歪さと矛盾を感じました。
    その陰で被害を受けた女性達の存在は顧みられることもなく忘れられている、
    これでは彼女達は浮かばれない、とも思いました。

    これは山口敬之が逮捕されず、裁かれず、右寄りの支援者達から庇い守られている状況
    と、一体何が違うのか?と思いました。

    女性への性暴力まがいの企画に手を染めた人物が何も一切裁かれず、批判もされず、社
    会的地位も失わず、それどころか意識の高い人々に支持される公共放送の番組にまで出
    ることが出来る。社会はその事を受け入れ、許し、容認している。
    私が住むこの日本社会は、そのような社会なのだと、社会への信頼を長い間失わされ、
    また深い絶望と、怒りと、悲しみにとらわれました。

    上記の番組の取り組みの素晴らしさを私は決して否定したくありませんが、一方で
    伊藤詩織氏がエル・ジャポン2018年4月号増刊のインタビューで
    「アメリカでは(大家注:ハーヴェイ・ワインスタインによる女優達への性的加害が)ワ
    インスタイン個人の話を超えて、みんなで話し合うべき事実となる」と語られたように

    その番組の出演者がかつて上記の酷い企画と、そこから発生した女性達の被害、差別、
    それを生み容認し、加害者達を無罪放免のままにしておく社会についても光を当て直し
    て、社会全体で、みんなで話し合って欲しいと思わずにいられませんでした。

    社会が性暴力を許さない、そういう姿勢になって欲しい、
    そして加害者を容易に甘く許さない、そういう社会になってもらいたいと思います。

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