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Thursday, September 29, 2011

チェルノブイリ事故による放射性物質で汚染されたベラルーシの諸地域における非ガン性疾患 Y・バンダシェフスキー教授 Non-cancer illnesses and conditions in areas of Belarus contaminated by radioactivity from the Chernobyl Accident: Prof. Yuri Bandashevsky

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ユーリ・バンダシェフスキー教授は、チェルノブイリ事故汚染によるベラルーシ地域の汚染被曝の影響について広範囲な研究を行ったベラルーシ人の科学者です。その功績に対して2009年欧州放射線リスク委員会(ECRR)レスボス会議からエドワード・ラッドフォード記念賞を授与されています。この受賞にあたって博士が寄与した、放射線核種のセシウム137の内部被曝による非ガン性影響に関する論文の日本語訳をご紹介します

バンダシェフスキー教授は豊富な実験データを提示し、「セシウム137が人体に与える影響の特徴は、生命維持に重要な臓器や臓器系統の細胞内の代謝プロセスの抑制だとみられる」とまとめています。さらには「セシウム137により人間や動物の体内に引き起こされる病理的変異をすべてまとめて“長寿命放射性物質包有症候群”(SLIR)と名付けることもできそうである。」といい、その症候群は心臓血管系、神経系、内分泌系、免疫系、生殖系、消化器系、尿排泄系、肝臓系における組織的・機能的変異によって規定される代謝障害という形で表れると書きます。SLIRを誘発する放射性セシウムの量は年齢、性別、その臓器の機能的状態により異なることを明記したうえで、「子どもの臓器と臓器系統では、50Bq/kg以上の取りこみによって相当の病的変化が起きている。しかし、10Bq/kg程度の蓄積でも様々な身体系統、特に心筋における代謝異常が起きることが報告されている。」という指摘を行っています。

バンダシェフスキー教授は2001年、ベラルーシ政府によって8年間の刑期で投獄されました。これは表向きには収賄容疑でしたが、国際的な人権団体であるアムネスティ・インターナショナルが同氏を「良心の囚人」(暴力を用いていないのに、自らの信条や信仰、出自、肌の色などを理由に、政府によって拘禁されたり自由を制限されたりしている人)と認定し、釈放を求めるキャンペーンを行った結果、2005年に釈放されました。

(田中泉 記)







チェルノブイリ事故による放射性物質で汚染されたベラルーシの諸地域における非ガン性疾患 ユーリ・バンダシェフスキー教授
ミコラス・ロメリス大学(リトアニア、ヴィリニュス)

生態学的な環境は人体に影響をあたえ、人間社会の発展を支える。世界で環境保護(そして人々の健康)に関してかなりの全体的進歩があったことを見ようともせずに深刻な環境問題を抱えている国々がある。その先頭を行くのが旧ソ連諸国である。旧ソ連政権は、西側諸国の軍事的・経済的発展に追いつき追い越せという願望のあまり新しい産業技術を導入したが、それは環境、ひいては人びとの健康に致命的な影響を残した。何よりもまず、ソ連による核実験について考える必要がある。

1960年代以降、ベラルーシ、リトアニア、ラトヴィア、エストニア、ウクライナ、ロシアにまたがる広範な範囲が放射性物質で汚染されたのがその直接的な影響である。これらの国に住む人々は放射性物質があることに関して何の情報も持っていなかったので、当然その影響から身を守ることができなかった。

ベラルーシにおける放射線と生態系にかかわる問題

1960年代初頭以降、これら旧ソ連諸国の住民が消費する食材から放射性核種セシウム137が非常に多く検出されている。[1] 
チェルノブイリ事故によるベラルーシの汚染は有名だが(図1)[9/29訳注修正:図2.1の誤りか]、対してそれ以前に核実験の放射性降下物(フォールアウト)による汚染があったことはあまり知られていない。図2.2~2.4に旧ソ連における汚染の証拠資料をいくつか提示する。図2.2は、チェルノブイリ事故が起きる前の1960年代、セシウム137のレベルは非常に高かったが、1963年に大気圏核実験が禁止された後は着実に減っていった様子を示している。

たとえば、ベラルーシやバルト諸国の人びとが日常的に摂取する産品のうち、高レベルのセシウム137が含まれていたものの1つが牛乳である。[図2-3は]1967年から1970年にかけての「牛乳-セシウム 汚染地図」である。放射性核種セシウム137が最も多く観測されたのはベラルーシ共和国ゴメリ地方だった。

2.1  1987年のベラルーシにおけるセシウム137の汚染状況


2.2  村人たちの1日の食物摂取量あたりのセシウム137含有量(Marey A.N.ら、1974年)訳注:1ベクレルBq)=27ピコキュリーpKu/pCi


2.3  1960年代ベラルーシのさまざまな地域における牛乳中のセシウム137含有量(pCi/l

1986年のチェルノブイリ原発事故は、多くの欧州諸国の住民、とくにベラルーシ共和国の住民に対し、すでに存在していた放射性物質の影響をいっそう強めた。
チェルノブイリ事故後、1992*のベラルーシにおける放射性核種セシウム137の沈着量を示す地図(図2.1、図2.4[訳注:図2.11987年の地図である] は、1960年代のベラルーシにおける同様の放射性核種沈着の地図にほぼ符号している(Marey A.N.ら共著1974年)。1986年のチェルノブイリ事故後、ベラルーシなどの国の人びとの健康に放射線が与えた影響について語ることができるようになったが、これはひとえに西側諸国の大衆の関心が高まったことによる。

1986426日のチェルノブイリ事故は、その規模と影響からみて人類史上最大の人災と考えられている。その社会的・医学的・生態学的影響は、詳細な研究を要する。ベラルーシは欧州全体で最大の被害をこうむった国だ。チェルノブイリ原発4号炉で起きた事故の結果大気中に放出された放射性物質の約70%はベラルーシ共和国の領土の23%以上に当たる部分に降下し、そこを汚染した。この地域では現在、子ども26万人を含む約140万人の住民が暮らしている。いまだに放射能汚染について大きな問題を抱えている地域が散見される。最も危険なのは放射性物質セシウム137とストロンチウム90を含む食材の摂取である。これらの放射性核種が内部被ばくに寄与する割合は7080%に達する(バズビー&ヤブロコフ 2009年)。死亡率の上昇と出生率の低下により、1993年以降のベラルーシの人口は、2002年は-5.9‰、2003年は-5.5‰、2005年は-5.2‰と、マイナス傾向になっている。


2.4 1992年のベラルーシにおけるセシウム137の沈着地図

2.5 ベラルーシ共和国 住民1000人当たりの死亡率と出生率

2.6 ベラルーシ共和国人口指数、1950-2004


2.7 ベラルーシの各地方における住民死亡率の推移


2.8 ベラルーシの死因構成、2008年[訳注:外部要因とは事故・犯罪死など]

ベラルーシの住民の死因のうち主なものは心臓病と悪性腫瘍である。最大死因である心臓病が統計的に有意な増加を示していること、中でもチェルノブイリ原発事故の後処理に関わった人びとの間で増加していることには不安を禁じえない(図2.9)。
食物から永久的・慢性的に摂取される状況下において、放射性核種セシウム137は甲状腺、心臓、腎臓、脾臓、大脳など、生命活動のために重要な臓器に蓄積される。これらの臓器が受ける影響の度合いは様々である。


2.9 ベラルーシ共和国における心臓病患者数推移



2.10 ベラルーシ共和国 住民10万人あたりの悪性腫瘍発生率


2.11 ベラルーシにおける甲状腺がん新規発生数の推移

キー: 1 –心筋, 2 –, 3 –肝臓, 4 – 甲状腺, 5 –腎臓, 6 –脾臓, 7 –骨格筋, 8 –小腸
2.12 1997年及び1998年に行われたゴメリ地方住民の死体解剖時の放射測定データによる成人(青)と子ども(赤)の臓器別セシウム137含有量

セシウム137の取りこみにより、高分化細胞の代謝障害と変性・類壊死性のプロセスが進行する。それらの傷害の重症度は、生体内および上に挙げた臓器内のセシウム137濃度によって左右される(セシウム濃度の関数である)。傷害プロセスの強度ともたらされる組織傷害は並行する。通常、いくつかの臓器が同時にその有毒な放射線の影響にさらされると、全般的な代謝障害が誘発される。注意すべきなのは、生理的状況下において細胞増殖が無視できるほど少ないか全く起きない臓器や組織(例:心筋)が最も被害をこうむることである。生体内に蓄積された場合、セシウム137は代謝のプロセスを阻害し、細胞膜の構造に影響を与えるとみられる。このプロセスは多くの生命維持に重要なシステムの組織的・機能的障害を誘発する。その主たるものが心臓血管系である。心筋における組織的・代謝的・機能的変異は放射性セシウムの蓄積と相関関係にあり、その毒性の影響を証明する。エネルギー産生系システムとミトコンドリア系システムが侵される。セシウム137の蓄積量が増えることによって細胞において重大かつ不可逆的な変化が起こると、類壊死のプロセスが発生する。エネルギー不安定性の影響でクレアチン・フォスフォキナーゼという酵素の抑制が表れる(図2.14


2.13  45Bq/kg の放射性セシウムを取り込んだラットの心筋細胞中のミトコンドリアの集積 Uv.30000 [訳注:細胞内の縞模様の構造がミトコンドリアであるが、正常細胞よりも密度と大きさが増えている。]

キー: 1 - アルカリ性フォスファターゼ, 2 -クレアチン・フォスフォキナーゼ(р <0,05)
2.14  実験動物の心筋細胞における酵素活性の変化(コントロールを100%として表示)

セシウム137の影響が最も激しく現れるのは、成長中の生体の心臓血管系である。小児の心筋における10Bq/kg以上の放射性セシウム蓄積は、電気生理学的な諸プロセスの異常をもたらす。1986年以降に生まれ、セシウム137による地表汚染が15Ci/ km2(訳注:55万5千Bq/㎡)以上蓄積する地域で継続的に暮らしてきた人びとには、心臓血管系の深刻な病理的変異を反映する症状と心電図異常が現れる。学齢期の児童では、放射性核種セシウム137の取りこみにより、心拍の障害をもたらす心筋の電気生理的な障害が引き起こされる。生体内の放射性核種量と不整脈発生率との間には、明らかに相関関係が見受けられた(図2.15)。

2.15 ECG変異が見られなかった小児の割合。スペクトロメータによる体表面セシウム137量別。(バンダシェフスキー&バンダシェフスキー)

2.16- 43歳のドブルシュの住民の心筋の組織像(突然死のケース)
心臓内の放射性セシウム蓄積-45.4Bq/kg びまん性心筋細胞溶解、筋線維間浮腫、筋線維断裂が見られる。HE染色。倍率125倍。


2.17  900Bq/kgの放射性セシウムが検出されたアルビノラットの腎臓の組織像。空洞の形成をともなう壊死および糸球体の破壊、および尿細管上皮の壊死と硝子化変性、HE染色。倍率125倍。

症状はかなり臓器毎に特異である。図2.17は腎臓における影響を示している。微小循環系の組織構造が異なるため、放射線被ばくによる病理変化も臓器によって異なる特徴を示す。腎臓の放射性疾病でネフローゼ症候群が伴うことはごく稀だが、通常の慢性糸球体腎炎に比べて重く、経過が早いという特徴がある。後者の場合、悪性がしばしば早い時期から発症することが多い。2-3年のうちに放射性腎臓障害は慢性腎不全や脳卒中、心臓病などを併発するようになる。生体中に代謝性に蓄積し、それが心筋やその他の臓器に有毒な影響をもたらし、高血圧を発症させることに加え、腎臓の破壊は、セシウム137の主要影響の1つである。ゴメリにおける突然死の89%はこの種の全般的な臓器の破壊を伴っており、その状態は生前には記録されていなかった。また肝臓の深刻な病理的変化も重要である。肝臓において顕著な細胞蛋白の破壊と代謝性変容を伴う中毒性変性が進行すると、類脂肪物質が生成され、それが脂肪肝や肝硬変などの深刻な病理的進展をもたらす(図2.18)。

2.18  40歳のゴメリ住民の肝臓の組織像(突然死)
肝臓への放射性セシウム蓄積-142.4Bq/kg 
脂肪・蛋白変性、肝細胞壊死HE染色。倍率125倍。

内分泌系もまた、取り込まれたセシウム137の影響にさらされる。 それから副腎も取り込まれたセシウムに影響を受けると見られる。コルチゾールレベルは体内セシウム濃度に左右される。母親の胎内(特に胎盤)に相当量の濃縮されたセシウム137が蓄積されていた新生児においては、コルチゾール生成の変異が特に顕著にみられる(図2.19)。これらの胎児たちは子宮に適応できないことでよく知られる。この影響は、セシウム137が与えられた母親を持つラットにみられる(図2.192.20


キー:胎盤におけるセシウム137濃度: グループ 1 – 1-99 Bq/kg; グループ 2 – 100-199 Bq/kg; グループ 3– >200 Bq/kg.
2.19 -セシウム投与群(テスト群)、非投与群(対照群)にみられる母親と胎児の血液中のコルチゾール濃度

女性の生殖系の疾患は内分泌系統の異常で起きる。放射性セシウムはまた、妊娠可能な女性では性周期のさまざまな時期における黄体ホルモン-女性ホルモンのアンバランスの原因ともなる。これが不妊症の主たる要因となる。胎盤その他の内分泌系の臓器に取り込まれた放射性セシウムは、母親の生体にも胎児にもホルモン障害を増加させる。特にセシウム137の濃度が高まるとテストステロンや甲状腺ホルモン、血液中のコルチゾンの含有量も増加する。放射性セシウムにより母子の生体内でホルモンバランスが乱れると、妊娠期間が遷延し、分娩合併症と新生児の発育障害が増加する。母乳を与える場合、放射性セシウムは子の生体中に移行する。従って、母親の放射能が減った分、子の生体はセシウム137により汚染される。この新生児期にからだの諸器官が形成されるが、放射性セシウムは子の生体に対して極めて否定的な影響を与える。放射性元素の取りこみに最初に反応するのが神経系である。28日間オート麦を介して放射性セシウムを40-60Bq/kg投与したラットでは、脳の様々な部位、特に大脳において、モノアミンおよび神経刺激性のアミノ酸の生合成に顕著なアンバランスが起こる。これは平均致死線量(訳注:細胞の生存率を37%まで減らす線量。哺乳類では1~2Sv)あるいはそれを越える線量に被ばくした場合に見られる現象である。このことは自律神経の様々な障害に反映される。

2.20セシウム137を投与された母体から生まれたラットの胎児

放射線汚染地域に住む児童に白内障が増加した件についても触れられるべきだ。この疾患の検出頻度は、他の疾患と同様に、生体内の放射性核種セシウム137の量と直接関係性がある(図2.21)。

2.21生体内のセシウム137Bq/kg)の平均的なレベルとゴメリ地方ヴェトカ地区の子どもの白内障発症率増加の関係(ユーリ・バンダシェフスキー共著、19971999

まとめると、長寿命の放射線核種セシウム137は、多数の生命維持に重要な臓器や身体系統に影響を与える。その結果、放射性セシウムの濃度に依存するプロセスとして高分化細胞が悪影響を受ける。エネルギー産出系統の破壊を基盤にしたこのプロセスは、蛋白の破壊へとつながっていく。この繋がりにおいて、セシウム137が人体に与える影響の特徴は、生命維持に重要な臓器や臓器系統の細胞内の代謝プロセスの抑制だとみられる。これは毒性組織(窒素化合物)の直接的な影響と効果、および心臓血管系の障害による組織発育の阻害とによるものである。セシウム137により人間や動物の体内に引き起こされる病理的変異をすべてまとめて「長寿命放射性物質包有症候群」(SLIR)と名付けることもできそうである。この症候群は生体に放射性セシウムが取り込まれた場合に表れる(その重症度は取り込まれた量と時間で決まる)。そして、その症候群は心臓血管系、神経系、内分泌系、免疫系、生殖系、消化器系、尿排泄系、肝臓系における組織的・機能的変異によって規定される代謝障害という形で表れる。SLIRを誘発する放射性セシウムの量は年齢、性別、そしてその臓器の機能的状態により異なる。子どもの臓器と臓器系統では、50Bq/kg以上の取りこみによって相当の病的変化が起きている。しかし、10Bq/kg程度の蓄積でも様々な身体系統、特に心筋における代謝異常が起きることが報告されている。

結論

チェルノブイリ原発事故から23年、長期間に渡って放射性物質に汚染された地域に生活しこれらの放射性核種を摂取してきたベラルーシ共和国の住民たちは、心臓病と悪性腫瘍の発症リスク増加に見舞われてきた。これらの病気が事故後23年間着実に増加し続けたことにより、住民の死亡率が出生率を2倍以上上回るという、人口統計上の大惨事といえる状況がもたらされた。現在の状況は、チェルノブイリ事故の被害を受けた地域に暮らす市民の健康を守るための対策を速やかに講ずるための国レベルおよび国際レベルの決断を必要としている。
 [1] (Marey A.N. 共著 1974年、ルシャーエフA.P.共著 1974年、テルノフV.I., グルスカヤN.V. 1974).

翻訳:田中泉 翻訳協力:松崎道幸

Wednesday, September 28, 2011

Japan Focus: Discordant Visitors: Japanese and Okinawan Messages to the US アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス 仲井真、野田の不協和な米国訪問

オンライン英文ジャーナル『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』より転載。9月19日仲井真沖縄知事はワシントンの大学で演説し普天間「代替基地」を沖縄県内に作ることへの反対を明らかにし、県外移設を訴えた。一方、野田首相は21日ニューヨークでオバマ大統領と首脳会談を持ち、日米合意の履行に向けて「沖縄の理解」を得る努力をすることを伝えた。ちょうど同時期に米国に行って全く異なることを訴えた沖縄と日本のリーダーの「不協和な訪問」。この過去数日このブログで扱ってきた「野田オバマ会談報道はおかしい」問題も議論する。ガバン・マコーマックと乗松聡子による記事。(@PeacePhilosophy)


Reprinted from the Asia-Pacific Journal: Japan Focus


Discordant Visitors: Japanese and Okinawan Messages to the US

Gavan McCormack and Norimatsu Satoko

Governments come and go in Japan, Noda Yoshihiko’s the most recent, being the third since the general elections of 30 August 2009 brought the Democratic Party of Japan (DPJ) to power, following those of Hatoyama Yukio and Kan Naoto. In the weeks following his assumption of office, Noda has stated his core vision for the office on many occasions, including his inaugural Diet speech as Prime Minister on 13 September. He promises to confirm, deepen, and strengthen the alliance with the US, “the axis of Japan foreign policy and security.”That means, above all else, he will construct the base for the Marine Corps in northern Okinawa designed to substitute for the Futenma base that squats dangerously in the middle of the township of Ginowan.
Prime Minster Noda
Yoshihiko at the inaugural
speech on September 13





The fact is, however, that for the past 15 years a series of Prime Ministers – seven of the LDP and three of the DPJ1 – have tried without success to accomplish this. Inter-governmental agreements on the “Futenma Replacement Facility” have been made, postponed, revised, and postponed again (1996, 2006, 2009, 2010, and 2011), mostly because of the constant opposition in Okinawa, and Noda is no more likely than his predecessors to resolve the issue. The Okinawan opposition has grown steadily more determined over those fifteen years, especially the last two, since the DPJ took power promising to transfer Futenma base outside of Okinawa and then reneged on its promise. So Noda takes office pledging to do the impossible, and therefore is almost guaranteed to join the conga line of Prime Ministers jigging offstage after the others in the near future.

On 21 September, meeting President Obama at the UN headquarters in New York for the first time, Noda assured the President that“We will strive to achieve cooperation in line with the agreement between Japan and the United States, and I will do my best to gain the understanding of the Okinawa people.”2


Japan-US Bilateral Meeting

First reports (from AP and Kyodo)3 of the meeting said it lasted 45 minutes, but that was soon revised downwards to“about 35 minutes”(which, allowing for interpreting, meant at most twenty minutes). There can scarcely have been time for detailed discussion of anything but the agenda ranged far and wide, from the two parties “hailing” their alliance, Noda declaring it “even more unwavering” than it had been and Obama promising that “much, if not most of the history of the 21st century will be written in Asia, and the United States wants to be a full part of that history going forward.”4 They then moved briskly through the Japanese tsunami catastrophe of March, the ongoing nuclear crisis that it precipitated, Japan’s gratitude for American aid, the global economy (which worried both), North Korea (with Japan, as always at high-level meetings, seeking American help in solving the problem of abductions of Japanese citizens by North Korea three or four decades ago), the free trade Trans Pacific Community project (Noda’s government was thinking about it), restrictions on US beef imports (it was thinking about that too), to the Hague Convention on the Civil Aspects of International Child Abduction (this seems to have consumed much of the attention of the meeting and on this too, Noda’s government was thinking, although it was known to be unenthusiastic). Obama also thanked Noda for Japan’s $5 billion contribution towards Afghanistan reconstruction programs and Noda promised that he would achieve “stable government,” which, given his extremely fragile position, seemed highly unlikely.  

 Though all these matters were on the agenda, Japanese reports concentrated almost exclusively on the single item of Futenma and the oft-repeated Japanese pledge for construction of a new base at Henoko to replace it. In the first account of the meeting by a participant, the Department of State’s Kurt Campbell, Assistant Secretary of State for East Asian and Pacific Affairs, said that

“Both sides understand that we are approaching a period where we need to see results, and that was made very clear by the President.5
Campbell quoted no direct words from the president, and he is well known as a core member of the Washington “Japan handlers” who have long insisted on and demanded that Japan proceed with the base construction, so it was not surprising that he would choose to emphasize this point. In the first reports of the talks published in Japan (in Yomiuri shimbun), these words, which Campbell had given no indication were the President’s, were placed within quote marks as the direct speech of the President.6 The Japanese media immediately highlighted the words “need to see results,” making it sound as though Obama had issued something close to an ultimatum.

In later reports, the Yomiuri attributed its source for the “Obama” remark to unnamed Japanese government sources.7 The Japanese media soon built a picture of the meeting replete with insights into its mood and the President’s mind. There was (according to the Asahi, quoting “a Japanese government official”) an “unexpectedly tense atmosphere,” in which Obama “pressed for action,”8 and according to the Japan Times (quoting “sources”) Obama was “impatient and irritated” and Noda was under pressure.9 Jiji News Agency offered the most dramatic account:
MCAS Futenma

“The President cut into the discussion as if not to waste a second, saying, ‘The time to produce results is approaching.’ According to sources accompanying the Prime Minister, without even waiting for the other participants including Secretary of State Clinton to introduce themselves, the President turned upon the Prime Minister to demand of him in firm tones progress on the Futenma problem.”10
Oddly, however, the Japanese Government’s report on the meeting gave neither direct nor indirect reference to any view the President might have expressed on this matter,11 and when Noda himself was questioned about it at a press conference in New York, he shook his head at the suggestion that Obama had pressed him for action on the Futenma replacement or said “the time has come for action.” As Noda put it, he himself had explained that “determined to reduce the base burden on Okinawa, he would sincerely explain the situation and seek Okinawa’s cooperation,” to which Obama responded that he would “look forward to developments.”12 He could hardly have said anything else. Noda, in other words, simply assured the President, as he had assured the Diet and the people of Japan, that he intended to push ahead with the base construction. If the President had really made a statement about “approaching a period where we need to see results,” it would be remarkable for the Foreign Ministry’s report to include no mention of it. Asked by an opposition member at the Lower House budget committee meeting on 26 September about Obama’s reported use of the words “need to see results,” Noda replied, “I take this to be the private view of the individual who conducted the briefing [ie., Campbell], not to be coming from the President.”13.

It is also clear that Japan’s national bureaucracy and mainstream national media support the position to move ahead with the base construction plan in Okinawa. They have long done so. On the eve of the New York meeting, the Asahi declared that Noda needed to “start by trying to win the trust of people in Okinawa.” 14 The Yomiuri summed up after the talks, saying, “the government must accelerate its negotiations with the Okinawa prefectural government to advance the relocation plan.”15 As both papers well knew, however, the people of Okinawa have insisted in every democratic forum possible that they would not accept any new base. The only way to “win the trust” of Okinawans, therefore, would be to tell them that it was revoking all agreements on new base construction and that it was asking Washington to quickly and unconditionally close and remove its Futenma base. But such a view was scarcely to be heard in Tokyo or Washington.

The unidentified “sources” that insisted Obama had been irritated and had demanded early steps to resolve the stalemate must be presumed to be the very same Japanese officials who during the time of Prime Minister Hatoyama (2009-2010) did all they could to sabotage their Prime Minister and promote the Henoko project, while urging Washington not to show any weakness in negotiating with him.16 For them to have isolated the sentence from the Obama-Noda meeting in which Obama said whatever he said in response to Noda’s pledge - ignoring other matters that seem to have drawn greater attention such as the Hague Convention - and to thus turn the meeting into one for the delivery of an Obama ultimatum to Noda was therefore hardly surprising.

The Noda-Obama meeting was all the more bizarre for following by two days a lecture given at George Washington University in Washington D.C., by Okinawan Governor Nakaima Hirokazu that flatly contradicted the Prime Minister.17 Nakaima declared that opposition in Okinawa to the Okinawan base project was almost total. He spoke of the unanimous declaration within the prefectural parliament (the Prefectural Assembly), and the explicit opposition of all 41 local government mayors and heads, including the mayor of the city of Nago, the designated site for the new base. Nakaima told his Washington audience that the relocation plan “must be revised,” continuing that Futenma was “not an acceptable option” and that if the national government was to choose to proceed “against the will of the local citizens,” it might lead to “an irreparable rift … between the people of Okinawa and the US forces in the prefecture.” In other words, as this conservative Okinawa top official sees it, the national government’s specific agenda for “deepening” the alliance (that Noda would express to the President two days later) threatens to plunge it into crisis.

Okinawa Governor
Nakaima Hirokazu
 These two meetings – Nakaima in Washington on 19th and Noda in New York on 21st September – delivered to the US totally different and contradictory messages. Both saw in utterly different light the projected construction of a base for the Marine Corps in Nago. Nakaima’s speech exposed the emptiness of the Noda-Obama meeting and the absurdity of the continued statements by liberal and conservative mainland opinion leaders and media alike that more effort and more sincerity could somehow solve the problem. The belief that the near universal Okinawan hostility could be reversed by more “sincerity” on Noda’s part was an insult to Okinawans.

By his repeated insistence that the project would go ahead, Noda implied that if persuasion (which meant bribery) did not work, then force would have to be invoked. Obviously contemplating this prospect, Governor Nakaima told a Washington press conference that the only way that base construction could go ahead would be by recourse to “bayonets and bulldozers,” i.e. in the way that the bases were first built under US military government in the 1950s.18 Instead, he insisted, “The two governments should stop doing deals and return the bases promptly.”19

In other words, Okinawa’s most senior official believed that base construction would call for rolling the tanks through Nago. The “alliance” supposedly in the name of democracy, would be called upon to justify its crushing. Nakaima’s address exposed to the Washington audience the depth of the confrontation between the nation state and the prefecture of Okinawa. For that, there is no precedent in Japan’s modern history, and it deepens year by year.

What is clear from the exchanges surrounding the Noda visit is that Japan’s top bureaucrats and Washington’s “Japan handlers” are determined to press ahead with the Henoko base construction. They will brook no dissent, whether by a Japanese Prime Minister (such as Hatoyama, 2009-2010) or by Okinawa people and institutions. Fifteen years ago, Liberal Democratic Party (LDP) Prime Minister Hashimoto Ryutaro decided that the project could not be carried forward by force. No government since then has dared to suggest otherwise, with the result that government after government has sought to soften Okinawan resistance by combining carrots and sticks, but utterly failed to change it. Instead, the opposition has become more determined and more united.

The all-party, all-Okinawa rally against the plan to built a “Futenma Relocation Facility” in Henoko, on April 25, 2010
Obama must feel some Okinawa-related irritation over the fact that Congress in June delivered him its own ultimatum, slashing $150 million off the Pentagon’s estimates and saying it would not authorize further payments for the Guam base transfer (designed to accommodate some of the relocated Marines from Okinawa) unless the Pentagon could provide a thorough justification. Senior figures of both major parties in the Congress are increasingly dubious about the long frozen relocation plans, most famously declaring them “unrealistic, unworkable, and unaffordable.”20

The US-Japan “alliance,” forever being “deepened,” thus actually grows shallower and emptier. Rarely has there been a leaders’ meeting more devoid of substance than this one between Noda and Obama, with its pious and flatulent phrases about the United States being part of the history being written in Asia, “going forward.” Tellingly, the one positive Japanese act that Obama referred to was one nearly two years old – the contribution announced in November 2009 of $5 billion over five years to Afghan reconstruction. Of course Japan pays much greater sums than that to support the Pentagon, the dollar and US policy generally, including more than double that in direct subsidy towards expenses of the US military bases in Japan (the so-called “sympathy payments”) on a per-year basis,21 but Obama’s advisers must have decided that it might be too embarrassing to refer to offer public thanks for that.

The two Okinawan papers presented a view of these events so different from that of the national media as to suggest they were from a completely different world. The Okinawa Times spoke of Noda delivering Obama a “bad check,” since he had no concrete policy and no prospect of resolving the problem.22 As Ryukyu shimpo put it, “the Henoko transfer plan not only completely fails to gain the support of the Okinawan people, but it has lost the support of Congress too. Do not those politicians and bureaucrats who make up the Ampo [Security Treaty] mafia, and who see themselves as realists, realize that they have become ‘unrealists?’”23

Although Noda as DPJ Prime Minister from September 2011 expresses a resolve to break the stalemate, he cannot believe that there is any room left for “persuasion.” He can, and almost certainly will, try to put together an attractive financial package to try to find an appropriate price at which Okinawa will be ready to sell its soul – but ultimately he and his advisors can only be assumed to be contemplating the use of force. Tellingly, his Minister of Foreign Affairs, Genba Koichiro, declared that in order to honour the agreement with the US on base relocation and “reduce the burden on the Okinawan people,” he would “continue to engage with the people of Okinawa in all sincerity, even if stomped upon and kicked.” Genba in other words portrays himself and his government as victims of Okinawan “stomping and kicking,” a bizarre reversal of roles in the relationship that hinted at the same readiness to resort to force because it could be seen as retaliatory. His comment passed with little note in mainland Japan but outraged Okinawans.24

The Noda government in its early weeks repeatedly declared that it would deliver on the many promises former governments had made to Washington about Okinawa. Both Noda and Genba, repeating the mantra about lessening the base burden, insisted on increasing it, requiring Okinawa to continue bearing its hugely disproportionate base burden for the sake of the alliance in the form of the construction of a new base at Henoko. Tokyo will prevail, they keep repeating, but the citizens of Okinawa have for fifteen years of mass, non-violent resistance defied all the Tokyo promises, threats and bribes designed to crush or neutralize them. No amount of “sincerity” on the part of Noda and his Ministers seemed likely to overcome that determination, and violence would threaten the very fabric of Japan’s security in whose name it would be taken.

The US-Japan “Alliance” runs aground on the reef of Okinawan resistance. By making the promises he has made, supposedly in order to “deepen” the “alliance,” Noda heads towards exposing it to its greatest crisis.


Gavan McCormack and Norimatsu Satoko are co-ordinators of The Asia-Pacific Journal. Gavan McCormack is an emeritus professor at Australian National University and Norimatsu Satoko is director of the Peace Philosophy Centre in Vancouver, B.C. They are currently engaged in writing a book on the Okinawa problem.

Recommended citation: Gavan McCormack and Norimatsu Satoko, 'Discordant Visitors: Japanese and Okinawan Messages to the US,' The Asia-Pacific Journal Vol 9, Issue 40 No 1, October 3, 2011.

Notes
1 Takeshita, Obuchi, Mori, Koizumi, Abe, Fukuda, and Aso of the LDP, and Hatoyama and Kan of the DPJ.

2 “Obama hosts Noda, ‘advises action on base’,” Japan Times, 23 September 2011.

3 AP, Kyodo, Futenma broached at first summit, Obama hosts Noda, advises action on base,” Japan Times, 23 September 2011.

4 US Department of State, “US Foreign Policy in the Asia-Pacific Region,”21 September 2011, link.

5 US Department of State, “US Foreign Policy in the Asia-Pacific Region,”21 September 2011, link.

6 “Shusho ‘Futenma isetsu ni zenryoku,’ Bei daitoryo ‘shinten kitai,’” Yomiuri shimbun, 22 September 2011.

7 Takeshi Endo, “Noda-Obama hold 1st talks,“ 23 September 2011.

8 “Rough start: Obama pressed Noda at first meeting,” Asahi shimbun, 23 September 2011.

9 “Unrealistic promise on Futenma,” Japan Times, 24 September 2011. .

10 “Noda shusho Futenma shinten e kadai seou,” Jiji News Agency, 22 September 2011. For a detailed survey of Japanese media coverage, see Satoko Norimatsu, “Noda Obama kaidan hodo wa okashii,” Peace Philosophy Centre 23 September 2011, “Nichibei kaidan, Obama hatsugen to sareta mono o Noda ga hitei,” Peace Philosophy, 24 September 2011, and “Noda Obama kaidan hodo wa okashii sonogo,” 27 September 2011.

11 Ministry of Foreign Affairs, “Nichibei shuno kaidan (gaiyo),”22 September 2011, link.

12 “Futenma isetsu gigi ga fujo, kubi o kashifgeru shusho,”Ryukyu shimpo, 24 September 2011.

13 “Shuin yosan i de noda shsho bei daitoryo no kekka motomeru hatsugen hitei,” Ryukyu shimpo, 26 September 2011.

14 Editorial: Noda should win Okinawa’s trust to solve Futenma,”Asahi shimbun, 19 September 2011.

15 “To strengthen US alliance, Noda must produce results,”Yomiuri shimbun, 24 September 2011.

16 See Gavan McCormack, “Deception and Diplomacy: The US, Japan, and Okinawa,”The Asia-Pacific Journal, 23 May 2011.

17 The Nakaima speech seems to have been printed in full only in the Okinawan media, and covered only briefly elsewhere. See full text in English in Satoko Norimatsu, ”Okinawa Governor Nakaima: An Irreparable Rift in Okinawa/Japan/US Relations would result from forceful construction of Henoko base.” Peace Philosophy Centre, 22 September 2011.

18 “Unrealistic promise on Futenma,” Japan Times, 24 September 2011.

19 “Okinawa Governor denies a Japan-U.S. deal on US military realignment package,” Ryukyu shimpo, 26 September 2011 (in English).

20 On the statement by Senators Levin, MacCain and Webb, see Gavan McCormack, “Deception and Diplomacy,”op.cit.

21 The Government of Japan agreed early in 2010 to continue these payments at the 2009 rate of Y188 billion per year for five years. At today’s exchange that means approximately $2.4 billion per year, $12 billion over the five years.

22 “‘Bei kokubo kengen hoan’ Futenma minaoshi no michi hirake.”

23 “Nichibei shuno kaidan, min-i hitei shite minshushugi ka,”editorial, Ryukyu shimpo, 23 September 2011.

24 See, for example, “Genba gaisho hatsugen, fumitsukete iru no wa dare ka,” Ryukyu shimpo, 7 September 2011.

Tuesday, September 27, 2011

「野田オバマ会談報道はおかしい」その後

9月23日の投稿「野田オバマ会談報道はおかしい」では、オバマが野田に首脳会談で「結果を求めた」「強く迫った」というマスメディアの報道は誤りであり、これは国務省記者会見でカート・キャンベル東アジア・太平洋担当米国務次官補が会談の報告として言ったことを、大統領の発言かであるかのように報道したものである、と伝えた。

そして、9月24日の投稿「日米会談 オバマ発言とされたものを野田が否定」では、琉球新報テレビ朝日が、首脳会談後の記者との懇談で野田氏が「結果を求める」と言ったかどうかについては、「首をかしげ」、「進展を『期待』する」という話はあった」と話したと報じた。

9月27日には、26日の衆院予算委で野田氏は、この件について聞かれ「大統領本人というよりも、ブリーフ(説明)をした方の個人的な思いの中で出たのではないか」と答えた、との報道があった(琉球新報)。私の当初の投稿が国会議員やメディアに読まれているかどうかは不明だが、この件が国会にまで持ち込まれ、メディアの誤報道が明らかになったことは評価できることである。

27日の琉球新報は社説でこの件を取り上げた(下方記事参照)。「結果を求める時期が近付いてきている」と「進展に期待する」とでは随分ニュアンスが違うので、カート・キャンベルの言っていることが、会談の内容を誤って伝えており、それは意図的であった可能性があるとしている。キャンベルは、辺野古に基地を新設したがっている「ジャパン・ハンドラーズ」と言われている人たちの一人であることからも、そういうことをする可能性がないとは言えない。しかし、私から見ると、キャンベルが言ったことと、野田が言ったことにそこまでの乖離はないのではないかと思う。

もう一度、キャンベルが言ったことを読んでほしい。ここに再度引用する。(くわしくは23日投稿参照)
キャンベル:We all acknowledged the challenges associated with Futenma replacement. But I think both sides understand that we’re approaching a period where we need to see results, and that was made very clear by the President. (国務省ウェブサイトより

キャンベル「普天間移設問題についての様々な課題を我々は皆認識した。しかし日米双方とも、そろそろ結果を見る必要のある時期に近づいていることを理解しているし、大統領もその点を非常に明確にしていた。」
キャンベルがここで言っているのは、「我々は」という言葉で、「日米双方が」と言っているのである。米側が日本側に何か要求したとは言っていない。また、「結果を求める」とは言っていない。「結果を見る必要のある時期に近付いている」と言ったのである。また、彼は大統領の言葉の引用としてそれを言ったのではなく、会談のまとめとして自分の言葉でこれを言ったのである。その後に言った、「オバマがこの点を非常に明確にした」というのはキャンベルの解釈で付け足したのではないかと私はにらんでいるが、今は、確実に言ったとわかっていることに焦点を置こう。私は、この言葉と、野田氏によるオバマの言葉「進展を期待している」の間に大差はないと思っている。ニュアンスの違いは、キャンベルが言ったことと野田が言ったことの間にあるのではなく、キャンベルや野田が表現したことと、日本メディアが報じたことの間にある。

要するに、日本メディアは、キャンベルが言ったことを、米側が日本側に強い圧力をかけたかのように演出し、報道したのである。(もちろんその演出の度合いにはかなりの差がある。比較的フェアな報道をしたところもある。下記参照)

また、特記しておきたいのは、23日の投稿でも書いたように、外務省側の会談の要旨には、普天間問題についての米側からの発言が何かあったという記録は全くない。なので、やはり、記者会見でのキャンベルの発言が、野田氏のいうように「個人的な思い」から出た言葉である可能性はあると思う。会談録が公開されていないのだから報道するのも手探りであるというのはわかる。しかし、外務省の要旨国務省記者会見でのキャンベル発言から見ると、このようにまとめることができると思う。今回の会談では普天間問題については米側からの具体的な意見は特に出されなかった可能性が高く、何か言ったにしても、野田首相による「日米合意を進めたい。沖縄の理解を得るべく全力を尽くす」との発言に対して、表現はともかく、「わかりました」程度の返答があっただけではないかと。

いずれにせよ、普天間問題や日米関係についての「米側の立場」というのは誤って報道されることが多く、多くの場合はそのままにされてしまっていた。今回は、琉球新報が指摘し、社説でも取り上げ、毎日新聞やTV朝日なども報道し、国会答弁でまで取上げられたということは、大きな進歩であると思う。今回のことが、日本の人たちにとって、「米側の圧力」というものがメディアで報道されるときに、注意して読むきっかけになればと願う。@PeacePhilosophy

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23日の時点では報道諸例をしっかり紹介しなかったが、報道はこのようであった(全部網羅はしていない)。この中では唯一、普天間問題については、正確な報道をしたのが「日経」であると思う。なぜかというと、普天間問題については野田首相からの発言しか引用しておらず、米側が何か言ったとは報道していないからだ。

他の報道については、上記のキャンベル発言の解釈がこのような報道になった、ということを、見てほしい。

時事 「野田首相、普天間進展へ課題背負う=米の強硬姿勢鮮明に―日米首脳会談」
21日行われた野田佳彦首相とオバマ大統領による初の日米首脳会談。懸案の米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題をめぐり、米側の厳しい姿勢が鮮明になった。大統領選を来年11月に控え、米国の対日圧力がさらに強まるとみられるが、日米合意に反発する沖縄の理解が得られるめどは立っていない。外交初舞台の首相は、出だしから重い課題を突き付けられた。

 「結果を出す時期が近づいている」。大統領は首相との会談で、時間を惜しむかのように本題に切り込んだ。首相同行筋によると、クリントン米国務長官ら同席者が自己紹介をする間もなく、大統領は強い口調で普天間問題を進展させるよう首相に詰め寄ったという。
 読売 日米首脳会談 同盟深化へ 「結果」を出す時だ

「結果を出す時期が近づいている」。大統領は首相との会談で、時間を惜しむかのように本題に切り込んだ。首相同行筋によると、クリントン米国務長官ら同席者が自己紹介をする間もなく、大統領は強い口調で普天間問題を進展させるよう首相に詰め寄ったという。

大統領は、米軍普天間飛行場の移設問題について「結果を見いだすべき時期に近づいている」と述べ、進展に強い期待を示した。
産経 日米首脳会談、オバマ大統領「結果求める時期近い」 普天間進展強く迫る
大統領は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)移設問題について「結果を求める時期が近づいている」と具体的な進展を強く求めた。

 首相は昨年5月の日米合意の履行に向け、沖縄県民の理解が得られるように全力を挙げると表明。大統領は「進展に期待する」と念を押した。 
日経 野田首相、米大統領との初の会談 日米同盟深化を確認

首相は沖縄県の普天間基地移設問題を巡り、同県名護市辺野古移設を明記した昨年5月の日米合意を踏まえるとの考えを伝達。「沖縄の負担軽減を考えながら、沖縄の皆さんのご理解を頂けるよう全力を尽くす」と述べた。
東京(「核心」より) 普天間移設 米が結果要求 日米首脳会談

野田佳彦首相とオバマ米大統領の初の日米首脳会談はオバマ大統領が一向に前進しない米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題について進展を迫るなど、野田首相にとっては厳しい内容となった。
西日本 首脳会談 「結果を」と迫られる日本
就任して間もない首相にとって初めての首脳会談であり、日本側は首脳同士が信頼を構築する「顔合わせ」的な話し合いを予想していたかもしれない。だが、少なくともオバマ大統領は、そんな悠長な構えではなかったようだ。

 「目に見える結果を求める時期が近づいている」

 日米首脳会談で、オバマ大統領は懸案の米軍普天間飛行場移設問題について、強い言葉で早期の具体的進展を迫った。

 野田首相は「日米合意にのっとって沖縄の負担軽減を図りながら、沖縄の皆さまの理解を得られるよう全力を尽くす」と応じた。沖縄県名護市辺野古に移すとした日米合意の実現を目指し、沖縄への説得を強める姿勢を示したものだ。

 しかし、通常、一般社会で「結果を出せ」と言うときは、「『努力します』などの弁解は聞きたくない」との意味が込められている。「全力を尽くす」とした首相の応答に、オバマ大統領は不満だったろう。
毎日 日米首脳会談:「普天間、結果求める時期」米大統領、首相に打開要請

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題について、首相は同県名護市辺野古に移す昨年5月の日米合意の履行に全力を尽くすと表明したが、大統領は「結果を求める時期が近い」と述べ、進展に向けて日本側の努力を強く求めた。
朝日 米、「普天間」履行迫る 日米首脳会談 
大統領は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設について、具体的な結果を出すよう野田首相に要求。首相は同県名護市辺野古に代替施設を建設する日米合意の早期の履行を迫られた。
・・・普天間問題について、首相は「引き続き日米合意に従って協力を進めたい。沖縄の人々の理解を得るように全力を尽くしたい」と強調。大統領は「これからの進展に期待をしている」と語った。会談に同席したキャンベル米国務次官補は終了後、記者団に「両国は結果を求める時期が近づいている、と理解している。その点は大統領が非常に明確にした」と説明した。
新聞あかはた 新基地建設 米「結果」迫る 
懸案の米海兵隊普天間基地(沖縄県宜野湾市)「移設」問題について大統領は「結果が必要だ」と強調し、同県名護市辺野古に新基地を建設するとした日米合意の履行を迫りました。首相は「全力を尽くしていく」と約束しました。

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参考資料 琉球新報9月27日社説


Monday, September 26, 2011

鉢呂辞任の疑問:「エリート政治家にはヨソ者の存在が許せない」(ジャパンタイムズ記事翻訳)Japanese Translation of Japan Times Article "Political elite can't stand outsiders"

「死の町」「放射能うつす」発言などにより、福島の被災者の気持ちを傷つけたとして、政治家やメディアから袋叩きにあい、辞めさせられた鉢呂前経産大臣。失礼なことを言ったかもしれないが、辞めさせられるほどのものだったか、という疑問が残る。何よりも不条理なのは、実害は特にもたらしていないその鉢呂氏の後釜として任命されたのは、実害をもたらした内閣の官房長官、枝野氏であったということだ。「直ちに影響はない」という放射線リスク軽視発言で知られ、SPEEDI予測結果を公表せず、避難の遅れによって福島のたくさんの人を被ばくの脅威にさらした内閣の中心人物である。枝野氏をはじめ、野田氏と新内閣の面々が、国会で、また福島において、鉢呂氏の発言に対して謝罪をして回った。これがスケープゴートでなかったら何なのか。他人のことを謝ることは何とも心地のいいことであろう。自分の責任を棚に上げ、自分がいい人になったようなパフォーマンスができる。「死の町」と言った人間よりも、「死の町」をもたらした人間たちをどうしてもっと追及しないのか。原発を推進してきた自民党の議員が鉢呂を非難している姿ほど滑稽なものはなかった。「放射能」発言にしても、最初に報じた人間がその場にはいなかったこと、各社によって鉢呂氏が言ったことになっている発言がばらばらであったことなど、市民のメディアスペース、ツイッターではいつまでも議論が続いている。本人もマスコミも確証が持てない発言によって、一閣僚を引きずり降ろしていいのか。

また、鉢呂氏は、その前にも「原発はゼロになるであろう」という発言で注目されていた。この9月18日ジャパン・タイムズのフィリップ・ブレイザー氏の記事で、官僚エリート主義が支配する政界において、コネも地盤もなく、松下政経塾でもないのに大臣になった鉢呂氏と、非政府団体出身では初めて首相になった菅首相の共通点を認識した。そしてもうひとつの共通点として気付いたことは、両氏とも、いずれは原発がゼロになる社会という構想を抱いていたことである。両氏が引きずりおろされた背景には、その構想もあるのではないか。

上記ジャパンタイムズの記事を、酒井泰幸氏の翻訳で紹介します。@PeacePhilosophy


エリート政治家にはヨソ者の存在が許せない

フィリップ・ブレイザー

 野田新内閣での鉢呂吉雄経済産業大臣の在任期間は閣僚在任期間の最短記録というわけではなかったが、最も物議を醸したことは確かだった。報道メディアは、鉢呂大臣の2つの発言に対する「民衆の怒り」が、彼を辞任に追い込んだのだと報じた。証拠はないので、報道をそのまま受け入れるしかないが。
(写真キャプション)退場する鉢呂吉雄、元経済産業大臣(共同)


 発言の一つは、事故を起こした福島原発の周辺地域は「死の町」だったというもので、その地域から避難していた人々の感情を逆なでしたとされるが、メディアは何ヶ月も前からこの地域を同じような言い方で表現してきた。日本のツイッター社会で今も飛び交っているのは、鉢呂大臣の発言で感情を損なったのは民衆ではなく、むしろ東京電力で、彼らは事故によって損害を受けた住民への賠償制度を現在策定作業中なのだ。鉢呂大臣は経産大臣就任を受けての記者会見で、原子力は「原則的に」廃止する方針であると表明した。

 鉢呂大臣のもう一つの失言は、福島から帰った後で、放射能を記者らに付けたと冗談を言ったというものだったが、こちらの方がより大きな問題となった。鉢呂大臣が冗談を言ったとされる時、言ったことは オフレコだと彼が思ったのは明らかだが、ジャーナリストの佐藤優がフジテレビで語ったところによれば、日本で何がオフレコで何がそうでないかという原則は「あいまい」で、各メディアが印刷したり放送したりした鉢呂大臣の言葉はみな異なっていたので、鉢呂大臣が具体的に何と言ったのか、あるいは誰が最初にそれを報道すると決めたのかは明らかではない。辞任記者会見での謝罪の中で、彼はその冗談については実際にあったことだと認めなかった。一人の記者が鉢呂大臣の発言に嘲笑的な調子で割り込んだが、別のジャーナリストに怒鳴りつけられた。共同通信の編集者はTBSの番組で、記者会見は質問のための場であって、「公的人物を告発する」ための場ではないと指摘した。問題の冗談は、もし鉢呂大臣が本当に言ったのなら、実に不注意なものだったが、鉢呂大臣の社交的な性格を考えれば、皮肉な衝動などではなく、むしろ場違いな友情の感覚から出たのではなかったか。彼が理解していなかったことは、記者たちは、いかに好意的に見えようとも、このような瞬間を待ち望んでいるということなのである。失言の報道ほど面白いものはないのだから。

 TVタレントのダニエル・カール氏はツイッターで鉢呂大臣の発言は「無神経」で彼は「どこかの政治王朝の子孫に違いない」とつぶやいた。だが実際には、鉢呂大臣は国会では珍しく政治的コネや血縁など持たない人物である。彼は北海道の農協で働き、その後日本社会党の推薦で選挙に立候補した。彼の政治経歴を通して、彼は常に農民との密接な関係を公言しており、それは他の政党政治家が農家を自分に投票してくれる選挙民としか見ないのに比べ、誠意のこもったものであった。「死のまち」発言を報じた時、主要報道メディアは鉢呂大臣がその次に語った一文を無視した。「私達はこの状況を変えなければならない。」

 日本はエリートたちによって運営されている。有力な官僚たち、企業の経営者たち、有力な血縁を持つ者たち。しかし、他の多くの国々が似たような体制で運営されているにもかかわらず、日本の支配者層にはイデオロギーが欠如している。金銭をある種の哲学の発現と見なすのなら別だが。

 松下政経塾は、パナソニック・グループの創始者、故松下幸之助により1979年に創設された私立の教育機関であるが、将来の日本のリーダーたちの花嫁学校のようなものと捉えることもできよう。野田総理大臣はここの卒業生であり、他にも37人の国会議員がいて、うち民主党が27人で自民党が10人いる。報道メディアは新政権の政治哲学を解明しようと松下政経塾の分析に忙しいが、それほど難解なものではない。松下幸之助は経済的保守派でアメリカとの強い同盟関係を支持していたが、彼がこの塾を設立した主な目的は、コネはないが才能ある若手に政界参入の道を提供することであった。

 松下政経塾はコネを持たない政治家志望者が国政と地方自治の両方で当選することを助けたが、その過程で松下政経塾そのものがエリート主義の砦となっていった。松下政経塾には毎年約 200 人の応募者があるが入塾を許されるのはわずか6名である。エリートに関する自明の理の一つに、エリートはエリート同士でしか仲良くしないというのがある。東京新聞のインタビューで語った明星大学の教授によると、国会議員は、血縁により当選したにせよ松下政経塾の力で当選したにせよ、「永田町の論理」が染み込んでおり、それは、全ての政治活動は誰に同意するかに基づいて行われるというものである。彼らの政治人生の現実は、中心的人物である小沢一郎を支持する党員は誰かという問題を巡る民主党内部の強迫観念に現れている。松下政経塾卒業生たちは、指導者の資質を養う方法としてトイレ掃除や書道を学ぶかもしれないが、最終的にはいかに影響力を高めるかに尽きるわけで、それはカネなのだ。

 官僚が中央政府を取り仕切っているのは秘密でも何でもないが、さらに先がある。現在の47都道府県知事のうち31人が、以前は様々な中央官庁に勤務していた経歴を持ち、官僚時代に共に働いた地方民間セクター関係者の協力で当選した者も多い。佐賀県と北海道の両知事は元経産省職員で、その家族は電力会社と古くからつながりがある。この二人の知事はどちらも、彼らの府県の原発を再稼働させようと動いている。

 政策は上層部で決定されるが、平均的政治家のエリート主義が役に立つのは内部抗争ぐらいのものである。今月抜きんでているのは誰だ? これこそ菅直人が、野党だけでなく自分の党の議員たちからも、あれほど悪意に満ちたやり方で中傷された理由である。彼は過去30年間のどの総理大臣よりも劣っているということはないが、おそらく彼は非政府団体(NGO)を通じて政界入りした最初で最後の総理大臣となるだろう。菅直人は市民運動のリーダーとして出発した。これは全くあり得ないことで、メディアを握る人々も含むエリートたちには許し難かったのだ。それを考えると、鉢呂吉雄大臣にもどれほど生き残れるチャンスがあっただろうか?

フィリップ・ブレイザーのブログは philipbrasor.com で。


Political elite can't stand outsiders
By PHILIP BRASOR

Yoshio Hachiro's stint as the Minister of Economy, Trade and Industry in the new Yoshihiko Noda administration was not the briefest cabinet assignment on record, but it was certainly one of the most controversial. News outlets reported that it was "public outrage" over two remarks he made which forced Hachiro to quit. In the absence of evidence, we have to take their word for it.

Phased out: Yoshiro Hachiro, former minister for Economy, Trade and Industry. KYODO PHOTO

One of the remarks, that the area around the crippled Fukushima nuclear reactor was a "town of death," supposedly offended the people who had been evacuated from the region, but the media have been describing the place in similar terms for months now. The Japanese Twittersphere is still buzzing that it wasn't the public that was offended by Hachiro's remark but rather Tokyo Electric Power Company, which is still working out a payment system for residents harmed by the accident. Hachiro stated at his news conference when he assumed the METI position that "in principle" he would work to phase out nuclear energy.

Hachiro's other transgression, a joke about contaminating reporters with radiation after returning from Fukushima, is more problematic. It's obvious that at the time he allegedly made the joke Hachiro thought what he said was off-the-record, but as journalist Masaru Sato commented on Fuji TV, the ground rules for what's on- and what's off-record in Japan are "vague," and since every media outlet printed or broadcasted a different quote it's not clear exactly what Hachiro said or who first decided to report it. During his resignation news conference he apologized without actually owning up to the joke. One unidentified reporter interrupted Hachiro in a derisive tone and was shouted down by another journalist. A Kyodo News editor pointed out on TBS that news conferences are for asking questions, not for "prosecuting public figures." The joke, if he made it, was certainly careless, but given Hachiro's gregarious personality it likely sprang from a misplaced sense of camaraderie rather than from any cynical impulse. What he didn't understand is that the press, no matter how friendly they might seem, is waiting for such a moment since gaffes are so fun to report.

TV personality Daniel Kahl tweeted that Hachiro's remarks were "insensitive" and that he "must be a scion of some political dynasty." In fact, Hachiro is one of the few people in the Diet who did not have political connections, family or otherwise. He worked in a Hokkaido agricultural cooperative and later stood for election under the banner of the Social Democratic Party. During his political career he has always professed an affinity for farmers that was more sincere than that of most party politicians, who tend to look upon the agricultural sector as a constituency ripe for exploitation. When reproducing the "town of death" quote, the mainstream press neglected to report the next sentence Hachiro uttered: "We have to change this situation."

Japan is run by elites — powerful bureaucrats, corporate leaders, people with pedigrees — and while many other countries operate under similar sorts of regimes, Japan's ruling class is empty of ideology, unless you consider money the manifestation of a particular philosophy.

Take the Matsushita Institute of Government and Management, a private educational establishment set up in 1979 by the late Konosuke Matsushita, founder of the Panasonic group, as a kind of finishing school for future Japanese leaders. Prime Minister Noda is a graduate, as are 37 other Diet members, 27 from the Democratic Party of Japan and 10 from the Liberal Democratic Party. The media are busy analyzing the institute in order to isolate the philosophy of the new administration, which isn't very difficult. Matsushita was a fiscal conservative and supporter of a strong alliance with the United States, but his main purpose for the institute was to give bright young people without any connections a means of getting into politics.

The institute has helped unconnected political aspirants gain office at both the national and local levels, and in the process has itself become a bastion of elitism. The school receives about 200 applications a year and accepts a half dozen. One of the truisms about elites is that they only identify with other elites. According to a Myojo University professor interviewed in Tokyo Shimbun, national assembly persons, whether they got in through a family connection or Matsushita's institute, are instilled with the "Nagatacho logic," which says that all political activity is based on who you agree with. That fact of political life explains the obsession within the DPJ over which members support kingpin Ichiro Ozawa. Matsushita Institute grads may learn how to cultivate their leadership qualities by cleaning toilets and perfecting their calligraphy, but in the end it all comes down to how to accumulate influence, which means money.

It's no secret that bureaucrats control the central government, but it goes further. Thirty-one of the current 47 prefectural governors used to be employed in various federal ministries, and many were elected with the help of local private sector concerns they worked with while they were bureaucrats. The governors of Saga and Hokkaido are former METI officials whose families have ties to energy companies that go way back. Both are now working to get nuclear reactors in their prefectures back online.

Policy is decided from on high, but the elitism of the average politician is only useful in internecine matters: Who's on top this month? It's why Naoto Kan was so poisonously vilified, not only by the opposition, but also by lawmakers in his own party. He was no more inept than any other prime minister of the last three decades, but he was the first — and probably the last — prime minister who entered politics through a non-government organization. Kan started out as a community organizer. That just doesn't happen, and the elites, which include the people controlling the media, couldn't stand it, so what chance did Yoshio Hachiro have?

Philip Brasor blogs at philipbrasor.com