To view articles in English only, click HERE. 日本語投稿のみを表示するにはここをクリック。点击此处观看中文稿件한국어 투고 Follow Twitter ツイッターは@PeacePhilosophy and Facebook ★投稿内に断り書きがない限り、当サイトの記事の転載は許可が必要です。peacephilosophycentre@gmail.com にメールか、このブログの右サイドバーにある Contact Us フォームで連絡ください。Re-posting from this blog requires permission unless otherwise specified. Please email peacephilosophycentre@gmail.com or use the Contact Us form in the right side-bar to contact us.

Thursday, June 22, 2017

沖縄「慰霊の日」に 大田昌秀さんを偲ぶ 沖縄国際平和研究所に協力を Remembering Ota Masahide, 1925-2017

前回の投稿では、元沖縄県知事の大田昌秀さんの2010年のインタビュー、未発表の日本語版を紹介しました。沖縄時間でその2日後、6月12日、92歳の誕生日に、大田さんは永眠されました。沖縄戦体験者として、ジャーナリストとして、学者として、教育者として、政治家として、沖縄、日本、世界中のたくさんの人たちに影響を与えてきた人と思いますが、私も、その晩年に多くのことを教わることができた幸運な者の一人でした。訃報をきいたときは、翌日からカナダ東部、トロントとモントリオールへの旅に出ることになっていました。予定変更して、沖縄に駆け付けようかと思いましたが、行先では仲間たちが沖縄について話をする場を設けてくれていました。前投稿にもあるように「壁の向こうに友人を作る」大切さを強調していた大田さんなら、きっと、しっかり任務を果たしてきなさいと私に言うだろうと思い、予定通り行ってきました。大田さんにいただいて以来、座右の書としている『死者たちは、いまだ眠れず 「慰霊」の意味を問う』(新泉社、2006年)を携えて。

きょう、沖縄の「慰霊の日」です。

この本の前書きより:
1945年も半ばを過ぎると、日本軍にとって、負け戦の沖縄本島南部戦場は、まるで「人間屠殺場」ともいうべき凄惨きわまる断末魔の様相を呈していました。そこでは、対敵同士の殺し合いどころか、わずかの水や食糧を奪い合って味方同士までが殺し合う無間地獄そのものでした。
わたしは、その激闘の戦場から奇跡的に生き延びて以来、敗戦後六〇年余の今日にいたるまで、この死闘の実相を一日も忘れたことはありません。多感な一〇代のころの戦争体験だけに、しかも多くの親しい学友たちのかけがえのない若い命を奪われたこともあって、忘れたくても忘れようがないのです。
もはや二度と会うことも叶わぬ親しい人たちの無残な死にざまを目の当たりにして私は、心の底から戦争を呪い、憎まずにはおれませんでした。思えば、敗戦までのわたしの人生は、文字通り戦争に出るための「準備期間」でしかなかったのです。そんなこともあって、敗戦後のわたしの「余生」は、むごたらしい死をとげた恩師や学友たちのいわば「慰霊の道のり」にほかなりませんでした。
戦後すぐ、米軍の圧力を気にしながらも死者の遺骨収集に取り組んだ若き日から、県知事として取り組んだ、沖縄県平和祈念資料館の拡充と内容の充実、「平和の礎」の建立経緯を綴り、とくに日本の再軍備化と連動する沖縄の戦争記憶の「靖国化」は許さない、という危機感は2017年の今日、残された私たち世代が引き継がなければいけない問題意識です。

この本に、何度も繰り返し読んだ部分があります。大田さんが戦後沖縄が米軍占領下にある中、本土から密航船で持ち込まれた新憲法の写しに出会ったときの気持ちを書いているところです。(147-8頁)
初めて目にした新しい憲法。わたしはそれを手にしたとき、かーっと全身が燃え上がり身震いしました。そして思わず胸中にこみあげるものを覚えたものです。そのころは、戦場から生きのびたとはいうものの、一種の解放感のほかは、生きている喜びもなければ実感もわかず、文字どおり身も心もボロボロの状態でした。それほど戦争後遺症で心身共に病んでいる状態でした。しかも敗戦後は、価値観が丸ごとひっくり返ったこともあって、前途にいかなる希望を見出せず、いたずらに無為にその日その日を過ごすだけだったからであります。 
それだけに新憲法の一語一句が切実に胸にしみました。とりわけ憲法前文の理念と九条の戦争放棄の規定は、まさにわたし自身の気持ちを適確に代弁したにもひとしく、驚喜したものです。
それは、いくどとなく戦場で死と向き合うたびに心の底から希求せずにはおれなかった平和の思いとぴったりの内容に思われたのです。新憲法には戦場で完全に失われていた人間としての基本的権利とともに何よりも戦争を禁じ平和への志向が明確に保障されていたからでした。
わたしは夢中になって、平和憲法の前文と九条をはじめ主要な条文を鉛筆で書き写しました。複写機などない時でしたから、書き写すのに相当の時間がかかりました。が、少しも苦にならず、鉛筆をなめなめ一語一語に力が入ったものです。
こうして新憲法との思わぬ出会いが、わたしに新たに生きる希望と喜びを与えてくれました。まさに感無量でした。言うなれば、新憲法は、誇張ではなく、わたしの生きるよすがとなっただけでなく、その後の新たな人生そのものへの最善の指針ともなったのです。
ここを何度も読むのは、感情を揺さぶり奮い立たせる言葉であると同時に、そのように大田さんが希求した日本の戦後憲法が戦後72年経ったいまも、沖縄には事実上適用されていない状況を自らに突きつけるものであるからです。

大田さんと一緒に写真を撮ったのは1月31日が最後でした。大田さんをノーベル平和賞にノミネートしたグループの、宮城千恵さん、石原昌家さん、高良鉄美さんと一緒に大田さんの事務所を訪ねました。

右から、高良さん、大田さん、宮城さん、乗松、石原さん。
2017年1月31日、沖縄国際平和研究所にて。
このときは、みんな、この時間の貴重さをどこかでわかっていたと思います。大田さん、ノーベル賞受賞演説を用意しておいてくださいよ、などと談笑しながら写真やビデオを撮りまくりました。

最後に大田さんに会った日、またいつでも遊びに来なさいと言ってくれたときの笑顔が忘れられません。手を取りましたが、もう骨と皮のようになっていて、握ったら壊れてしまいそうでした。

★★★

事務所で大田さんを支えてきた桑高さん、藤澤さんに感謝を申し上げます。大田さんが県知事時代に構想しつつも県の事業としては道半ばで終わった国際平和研究所はいま、「特定非営利活動法人 沖縄国際平和研究所」として生き続けています。私はこの研究所の会員ですが、研究所のニュースレター5月号で理事長の大田さんはこう会員にメッセージしています。
会員のみなさま、お変わりなくお過ごしのことと拝察いたします。お詫びのないほどご無沙汰しておりますことをお許しください。
平成24年に、沖縄国際平和研究所を立ち上げて4年、いま、皆さまのご協力を賜って、職員2人とともに、小さいながらも沖縄戦とホロコーストの写真展示と沖縄国際平和研究所の維持に努めております。しかし、創立以来の厳しい状況はなかなか変わりません。現在の危険極まりない日本の状況、そして数多くの基地を抱える沖縄にあってはとりわけ、あらゆる手段を講じて平和を創出させることが不可欠の課題ですが、期待どおりの関心を十分に呼ぶことができずにいることが残念でなりません。
私ごとで恐縮ですが、今年、満で92歳を迎えます。寄る年波とはいえ時に自分の身体が自分のものでないようなもどかしさ、歯がゆさを感じながらも、諦めるゆとりはないぞと、老骨に鞭打って平和の創設に精一杯の努力を強いているところです。
この事務所の維持も、ひとえにみなさまのご支援のおかげです。どうぞ今後ともご指導、ご鞭撻を賜りますよう、切にお願い申し上げます。
2017年5月 大田昌秀

大田さんが亡くなったことが大きく報道され、県民葬ももたれるとのことですが、近年、大田さんの国際平和研究所とその仕事は十分な注目を集めないできました。この機会に、みなさんには、大田さんの遺志を引き継ぎ、沖縄国際平和研究所を起点とした、平和のための活動や研究の維持・発展に協力していただけますよう、会員の一人として呼び掛けたいと思います。

2017年6月22日(沖縄時間23日) 「慰霊の日」に  乗松聡子








Friday, June 09, 2017

「壁の向こうに友人を作る」-大田昌秀元沖縄県知事インタビュー(2010年7月)未発表日本語版 Original Japanese Version of Interview with Ota Masahide, Former Governor of Okinawa and Nobel Peace Prize Nominee

Here is the original Japanese version of an interview with Ota Masahide, on July 20, 2010, for Asia-Pacific Journal: Japan Focus. See HERE for the English version.

沖縄戦で亡くなった人たちを国籍、軍民にかかわらず刻銘する「平和の礎」や沖縄県立平和祈念資料館など、自らの戦争体験にもとづき、平和のための政策や研究に生涯を尽くしてきた大田昌秀・沖縄国際平和研究所理事長、元沖縄県知事、元琉球大学教授に、今から約7年前、2010年7月20日、オンライン英字誌『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』用にインタビューを行いました。英語版は同年9月20日に

"The World is beginning to know Okinawa": Ota Masahide Reflects on his Life from the Battle of Okinawa to the Struggle for Okinawa

として発表しました。大田さんのインタビューで英語で読めるものとしては、もっとも本格的な記事となったのではないかと思います。

大田さんは6月12日で92歳の誕生日を迎えます。今年度のノーベル平和賞にもノミネートされています。

そういうこともあり、この記事の元となった日本語でのインタビューの全文を、今回ここに発表します。英語版ではすべての部分が掲載にはなっていませんが、この日本語版は完全版です。この当時大田さんは85歳でした。次から次へとコンピューターのように人名、書名、出来事や数字が出てくるのにはただただ感服します。

ここで大田さんは、「普天間代替施設」と称する辺野古の新基地が1960年代に遡る米軍の計画であったということを詳細な調査に基づいて図表とともに説明します。いま、国はこの基地の建設を着工し、埋め立てを始めてしまっています。

ここに紹介するのは大田さんの談話のほぼそのままの書き起こしです。沖縄戦における強制集団死についても大田さんの言ったまま「集団自決」と表記しております。

アップ後に表記や聴き取りなどの間違いが見つかり修正することがあることを了承ください。また、この投稿は、他のサイトやブログ等への全文転載は禁止とさせていただきます。リンクを記した上での部分的引用、リンクの拡散は歓迎です。この投稿のURLを共有する形で拡散してください。
http://peacephilosophy.blogspot.ca/2017/06/original-japanese-version-of-interview.html

2010年7月20日、大田国際平和研究所にて。乗松聡子撮影。

大田昌秀さん談話

2010年7月20日 1時半から 那覇市 大田平和総合研究所にて 聞き手 乗松聡子

導入
-ジャパン・フォーカス誌は沖縄のことを英語で発信する媒体としてがんばっています。琉球新報から賞をもらいました。

池宮城秀意(いけみやぐすくしゅうい)っていってね、(琉球新報の)社長をしていて、早稲田のドイツ文学を専攻した人。その人の息子が弁護士で、非常に弱い立場の人たちの弁護をしていて、お父さんも面白い人でね、本を書いていて、僕がその前書きを書いたことがある。僕の大学の先輩でもあったしよく付き合っていましたよ。マコーマックさんは、ずっと前にJAPANという本を何名かの人で出してね、私がそれを読んでその中でマコーマックさんの論文が一番印象に残って、私の本に引用したんですよ。それからの付き合いです。この間国際基督教大学の客員教授をしていて、僕は参議院していたからよく付き合った。だからこの間彼が主催して名護の市長選の前国際シンポジウムをして、彼がいろんな学者を呼んだ。それで選挙に勝ったから非常に良かったんですけどね。『属国』という本を書いた。その本を送ってもらったけどもなかなか面白いことを書いている。非常に沖縄への思いが強くてね、オーストラリア国立大学の教授だった。彼の大学院生でジュリア・ヨネタニという人がいて、ヨネタニという陶芸家と結婚し、半年間ぼくの事務所に通いつめて、県にいるときのこと(県知事時代のこと)を博士論文に書いた。見事パスして今国立大学の助教授になっている。

沖縄独立論
学外審査員の平(恒次)というイリノイ大学の経済学者、今引退している。ヨネタニの論文をほめていた。彼は、独立するといって今沖縄の若者たちを引っ張っている。一番最初に公然と独立論を唱えたのは平恒次だ。沖縄のインテリは皆、内心では独立したいと思っているけど、ある意味では見果てぬ夢のようになっている。平は宮古という離島の出身。そこの人たちは血の気の多い人たちで、宮古のこととなると結束するので有名。そこの農民たちが明治26年に初めて国会に請願した。宮古に人頭税といって一定の年頃になると一人一人に税金をかける。どこかに逃げるとその人の分までみんなで負担させられる。過酷な税金を課していたので明治26年に請願に行って制度を変えてほしいと。八重山というところがあり人頭税課していたけどそういうのは出てこない。宮古では制度の改正を訴えた。首里那覇から差別されていて反発エネルギーがある。平さんのお父さんが『宮古島庶民史』という本を書いていて、感動して宮古に会いにいった。もう亡くなっているが。その人の息子と知ってなるほどと思った。

田中角栄が日本国改造論を打ち出す前に、(平恒次は)中央公論新書から『日本国改造試論』という本を書いて沖縄を独立させるべしと公然と主張した。沖縄の人たちはなぜ内心独立したいと思っているのに言いだせないかと言うと経済的にもたないのではないかという懸念があって唱えない。彼は経済学者だから経済的な面もよく考えた上で言っている。独立という場合には普通、親国みたいなところに武器を取って戦うけれど、彼は違って、日本が本当に民主化したら連邦制みたいに、沖縄を独立さしても日本といい関係を保てるように独立したいという発想でやっている。最初は相手にされなかったけれど、最近は基地問題で日本政府があまりにもひどいから若者の間にじわじわと浸透している。名護の方に大学ができて、琉球大学の学長をしていた東江(東江平之 あがりえひらゆき)君という、平恒次と親しく、一緒にアメリカに留学した組。彼が流大にいるときに僕とも何十年の付き合いがあるから北部に大学を作りたいということで、県にいるときに20億の金で作らした。名桜大学のこと。そこに平恒次がよく集中講義に来る。

今独立党というのができていて、前からあるけれど無視されてきていた。この前の県民大会でも屋良(朝助)という党首が沖縄独立という旗を持って県民大会であちこち回ってきた。それで最近は独立研究所というのもできている。沖縄から東京にいった子たちが『うるまネシア』という雑誌を出している―昔沖縄はウルマ島と呼ばれていた―そういうわけで『うるまネシア』とか「琉球ネシア」とか言う。その雑誌は10号まで出ているが全部独立の論文ばかりだ。じわじわと平恒次の独立論が広まりつつある。(大田さんは?)僕の場合はね、唱える前に過去から独立論の系譜みたいに―1609年薩摩琉球入り以後王国がつぶされてしまったので―どういう人たちが独立を唱えてきたかということを片っ端から集めた。戦後マッカーサーが進駐軍の総司令官として東京に来たとき沖縄の人が独立させてほしいと英文で出したりした人がいる。そういうのを集めて二つの箱に集めてある。本にして整理してそれからやろうということでね。

沖縄には社会大衆党といって「社大党」という党がある。それを作った人は沖縄市(コザ)の市長をしていて大山(大山朝常おおやまちょうじょう)さんといって有名な人。死ぬ前に『沖縄独立宣言』という本を書いてベストセラーとなった。この人は日本復帰運動の中心人物だった。しかし復帰しても沖縄は全然変わらない、基地も減らないということで、この人は基地返還を唱えたために右翼から睨まれて脅迫を受けて市長時代には身を隠していた。コザ市というのは嘉手納基地を抱えていて米兵相手の商売人が多い。クラブとかバーとかね。基地反対を唱えると米軍は露骨にね、Aサイン(バーとかクラブとかで軍が認可したところ)というのがあったけど、反米的なことをすると、立ち入り禁止にしてしまう。そうすると商売人は困る。大山市長のように日本復帰を唱えたり基地反対したりするとAサインが、暴力団みたいな連中がやっているところもあるのでこの連中が脅迫した。3カ月程度身を隠していた。死ぬ前には独立したほうがいいということで独立宣言というのを出してベストセラーになった。

「集団自決」問題
普天間問題がこれだけ表面化してきたから普天間の問題を徹底的に・・・表面的ばかりなことを書いているので徹底的に資料をもとにしてやろうということで。20年ほどアメリカに通い続け国立公文書館から集め続けてきた。普天間問題がいつ頃から始まってどうなっているのかきちんと書こうとしている。ノーベル賞をもらった大江健三郎と岩波書店が訴えられていて最高裁に行っている。教科書問題、「集団自決」問題、これもここもみんな「集団自決」問題、この上のが全部資料だけど、これも今書いている。大江と僕が小さな雑誌で『沖縄経験』というのを出していた。僕が東大の新聞研究所に行ってもう出来なくなったけど廃刊にした。こっちが東京に行ったので。6号まで出した。二人で雑誌を出していた。だから裁判で―日本の最高裁というのは安心できないものがある―最高裁で勝たないとひどい目に会わされるから、大江も岩波もね。岩波から何冊か出しているから編集長とも親しい。なんとか勝たせないと、と思っている。

アメリカについても一生涯かかっても取れないくらいの資料が国立公文書館にある。「集団自決」だけでなく、沖縄戦全体について。去年もアメリカに行ったが時間が足りなかった。「集団自決」にまとを絞った。一部は探したが、別の隊長のところで、裁判の件になっている、命令したというのは見つけきれなかった。僕らは命令したというのは状況証拠から十分に証明できると思っている。できるだけ、直接の命令が出たか知りたいと思っている。(アメリカの公文書館はものすごい資料があって県のころは専任を雇っていた。あと5年というところまで来た。アメリカの公文書を買い取って沖縄の公文書館を作ったということだが。)宝の山ですよ。今でもびっくりするようなのが一杯ある。そこで調べていると、アメリカの機密文書は30年たつと解禁される。民主党の場合は25年で解禁。沖縄の場合は日本復帰した72年から30年、25年たたないと解禁してくれない。なのでまだまだ知りたい情報が残っている。11月の沖縄知事選で革新が取り戻したらまた派遣しようと思っている。今誰を出すかやっている。よく相談に来る。この前伊波(洋一)君も来た。

普天間移設、辺野古新基地問題
今の辺野古の問題も、県が集めたアメリカ側の資料を見るとショッキングなことが一杯出てくる。みんな背景がわからないから、中身がわからないからテレビとかでいろいろやっているが、全然わかっていないという感じがする。1965年の段階から沖縄を日本に返すという話がアメリカで、水面下で始まっていた。沖縄の主要な基地というのは嘉手納から那覇にかけて(那覇空港も米軍基地だった)中南部に、一番便利な場所に、一番人口密集地に基地があった。復帰までは、日本国憲法も沖縄には適用されていない。安全保障条約も適用されていない。そうすると米軍は核兵器とか生物化学兵器とかを勝手に持ち込んでいた。

久志村の方に弾薬庫があってそこで毒ガスがもれてアメリカの兵隊が24名負傷した。それをWSJ(ウォール・ストリート・ジャーナル)が暴露して大騒ぎになって核兵器、生物化学兵器を移せという運動がはじまり、復帰する直前の1970年に米軍は核兵器を大きなトラックに積んで移した、みんなに見えるようにして。しかしチェックはしていない、全部移したかどうかは。久志の方にあってね、やぎを飼っているわけ。やぎは毒ガスに鋭敏に反応するのでヤギが倒れたり死んだりしていたら毒ガスがもれたということがわかる。ヤギを飼っていて、そういうことは一般の人は知らない。米兵がやられたもんだからWSJが暴露。Red hat operationといって「赤い帽子の作戦」としてやったけど、日本政府の代表も沖縄知事も基地には勝手に入れない。

今でも世論調査すると、沖縄の60-70%は、まだ沖縄に核兵器があると思っている。反米的なものが出てくるから、米軍としては、復帰して日本国憲法や安全保障条約がこれまで勝手放題に使っていた基地がうまく運営できなくなる。とくに都市地域の基地が。那覇軍港も米軍が管理しているからね。そうすると那覇軍港からは、以前は、今の58号線は米軍が作った道路で軍用1号線と呼んでいたが、那覇軍港から戦車とか大砲を船に積んで、それを大きい長いトラックに積んで北部の演習地帯に運んでいた。そうすると戦争体験のまだ消えていない沖縄の人たちが怒って前に立ちはだかって邪魔する。

米軍としては復帰してしまったら、日本国憲法も適用され、基本的人権の問題も保障されるようになるからますます邪魔が増えて都市地域の運用が難しくなるということで、嘉手納以南の基地を全部今の大浦湾辺野古のところに集約して。那覇軍港は浅くて航空母艦を横付けできない。ところが航空母艦も横付けするようなのを大浦湾(水深30メートルもあって横付けできる)そこに巨大な桟橋作ってやろうとする。それから今の普天間基地にはヘリ部隊って戦闘部隊があって、沖縄国際大学に墜落したのは戦闘部隊だが、今普天間では民間地域に近すぎて爆弾を積めないので嘉手納に行って積んでる。それでは不便だから辺野古に基地を作って海からも陸からも自由に爆弾が詰めるようにしたい。それで辺野古に基地を作るのを1965年にはじまり、1966,67年には絵を描いておった、きれいに。

これがそれ。これが一番新しい今のね、V字型っていう今の一番新しいもの。
2006年『再編実施のための日米ロードマップ』から

これは米軍が作った1966年の計画。


『琉球列島沖縄 海軍施設基本計画』より

ここに巨大な航空母艦が横付けするっていうことで海軍が作ろうということで海兵が作ろうとしてアメリカのマニングという会社に委託して風向きとか調査してこういう絵を描いていた。これが今復活している。場所みんな同じでね。

これが97年で橋本総理と掛け合ったときの図案。Seabased Facility.


『日本国沖縄における普天間海兵隊航空基地の移設のための国防総省の運用条件及び運用構想 最終版』より
キャンプシュワブでしょ。桟橋かけてね、沖合に、海上基地を作ろうとしたわけです。それが米軍と日本軍の意向だった。Seabased facility という言い方をする。

90年以降になるとねえ・・・2002年になるとここに戻っちゃった。


『平成15年度版 沖縄の米軍基地』より
2005年の「米軍再編」での日米間協議で出た案は、1966年の案とよく似ている。
日米安全保障協議委員会『中間報告』

ここキャンプシュワブでしょう。1966年に作ったもののところに戻ってしまった。騒音とかうるさいからね、沖合に出してくれという言い方するわけですよ。ここに沖合に出すと、集落があるから、騒音がうるさいから、そしたら額賀っていう防衛長官がね、これを作ったわけですよ。前の名護市長の島袋っていうのと秘密で会ってね、離陸用と着陸用と別々にしたら騒音が減るっていうことでV字型を作ったわけですよ。

こっちから離陸してそっちから着陸する。ひとつの滑走路でやるなら離陸も着陸も同じところでやるから騒音がうるさいってことで、みんな文句言って沖合に出せ出せって言ったわけですね、そうするとV字型にしろということになって今またこれを一本の滑走路にしようって話し合っている。そうするとね、僕らの判断では、またこれに戻ると見ているわけですよ。(66年の計画の)。なぜ66年にできなかったかというと、あのときは安保条約が沖縄に適用されていなかったから、移設費も、建設費も、維持費も、全部米軍が負担しなくちゃいけなかった。ベトナム戦争の最中だから巨額の金が使われると。ドルが下落して、できなくなって放置していた。今はね、移設費も建設費も維持費も全部日本政府が持つからね、放置していたのが息を吹き返してできたらこんなにいいことはないわけです。

米軍にとっては。しかも思いやり予算が入ってくるしね。基地を維持する場合、硫黄島の話なんて出たとき僕は笑っちゃった。こんなことできるわけないと。硫黄島はほとんど住民がいない。自衛隊の基地があるだけ。基地を維持するためには労働者が必要なのですよ。硫黄島に移した方がいいと那覇市長なんかも言い。基地問題の中身知ってないなと。基地を維持するには労働者が不可欠。硫黄島には労働者がいない。そんなの米軍がOKするわけはない。V字なんかも額賀が説得して米軍のOK出たけど、現場の兵隊たちは、こんなバカな話はないと。いざ戦争になったらこっちが離陸だとかこっちが着陸だとか言っていて戦争がやれるわけないと。それでまた今一本に戻そうとしてるがね。

県はね、政府とアメリカ側はね、キャンプシュワブの沿岸部を埋め立てて作ろうとしてるわけですよ。そうすると政府はなるべくキャンプシュワブに近いところと言ってるんですね。軍事基地指定で立ち入り禁止で邪魔が入らない。早く作れる。ところが県はできるだけ沖合に出せ出せといっている。口実としてはここに集落があるから騒音が軽くなると言ってる。利権が一杯からんでる。沖縄の保守は砂利組合が支えてきた。砂利組合は独占企業で、沖合に出せば出すほど深くなるからよけいに砂利が必要になる。砂利組合の連中は、今の知事とか、僕の後の知事とか、前の名護市長とか、全部この砂利組合の連中が支えて当選させてきた。沖合に出せばだすほどもうかる。沖合に出すと環境関係者、女性たちが海に潜ってくいを引き抜いたりして邪魔するからいつまでもできない。だから国としてはできるだけ近くに、一本の線にまとめようとしている。

今は移設費も建設費も日本政府が出すわけだけど、どういう基地になるというのが全然中身知ってない。これが国防総省の出した報告書なんですよ。運用年数は40年、耐用年数200年の基地を作るといっている。(97年の国防総省の報告書)会計検査院というのがあって、全部予算をチェックするんです。1兆円から1兆5千億と言っている。日米政府は3-5000億といっていて5-7年完成にかかると言っているが、会計検査院は少なくとも10年と書いてある、これは12年と言っている。政府の中身と全部違う。僕らこういうの全部集めて徹底的にチェックしている。

民主党の今の本土の若い国会議員の中に、なぜ自分たちの税金を7千億も沖縄に使わなければいけないかという人たちがいる。そういうこときくと、沖縄はお金一銭もいらんからそちらに基地を持っていってくださいと言うんです。そういう人に限ってね、辺野古に基地を早く作れ作れと言うんですよ。どういう基地なのか知らないまま、どれだけの予算がかかるか知らないまま、そういうことを言うんですね。そうすると今グアムに8000人の海兵隊と9000人の家族を移すということに日米で合意している。それにかかる102億ドルの60%、60億5千万ドルぐらいは日本側が持つ。日本円にして7千億。つい最近ゲーツ国防長官が、102億では足りないから日本側にもっと負担してくれと、150億ドルと言ってるんですよ。そうすると9千億から1兆円日本の負担になる。辺野古の基地に一兆円から一兆5千億といわれる。そうなると大体3兆円使うということはアメリカの国防次官が言っている。そういう中身を知らないで辺野古設といっている。

ここのキングという普天間の副司令官が公表しているが、辺野古には普天間の替わりを作るわけではない、20%今の普天間より軍事力が強化された基地を作ると言っている。どういうことかというと爆弾が詰めないから辺野古に移して、陸からも海からも自由に爆弾積めるようにすると。あと最新式のMVオスプレイ、これを十数機持ってくると。これはアメリカでしょっちゅう事故を起こしていて「未亡人製造機」と言われている。それを辺野古に持ってくるものだから海上基地を作ってもそのヘリが安全に運行するようにできるには二カ年必要であると。だから12-16年かかるとも書いてある。そして費用も一兆から一兆5千億。関西新空港並みになると書いてある。このキングという副司令官は航空母艦35隻分の大きさになると書いている。そして今の普天間の一年間の維持費は280万ドルかかるが辺野古に移したら20%強化するから約100倍に膨れ上がって2億ドルになると。今の普天間よりずっと大きくなる。政府は滑走路も1300メートルになって5分の1に小さくすると発表した。今普天間は2800メートル。実際はそうじゃなくて関西空港なみになる。

米軍のロバート・ハミルトンという海兵隊の中隊長してた人が Marine Corps Gazette という機関紙があってそれに7回ほど論文を発表しているが、発表した論文で、基地は安全保障問題と全然関係ない問題だと言っている。これは今、日本の鉄鋼業界が韓国に抜かれて、新日鉄という日本一の会社が韓国に抜かれて非常に困っている状態。鉄が売れなくて。それで橋本総理が沖合に何万本もの鉄の柱を立ててその上に鉄の箱を作ってその箱をいくつかつないでその箱をつないだ上に熱い鉄板を張って滑走路にする。これは日本の経済をよくするための政治的配慮であって安全保障とは何の関係もないと、ロバート・ハミルトンは言っている。

くいうち方式というのは杭を打ってその上に鉄板ということ。(QIP?)3つ方法があって、ポンツーン方式とかいう言い方するけどね。ハミルトンは技術屋。鉄の箱と箱をつなぐリングが必要。日本でもアメリカでも発明できていなく、技術が進んでいるのは北欧であると。アメリカの海軍省が北欧に2億ドル出して研究を委託している。仕上がっていない。これを弱いリングでつなぐと沖縄の暴風にもたず、海中に沈む基地になる。世界で、海中に沈む二番目の基地になると。一番目はハワイの真珠湾だった。彼は僕のところに論文を送ってきた。名護の住民投票のとき(97年の)ときに防衛庁の連中が各家庭を回って酒やお金を配って買収したということを書いている。この前もみんな名護市長選で買収がはじまるから気をつけろと言った。事前投票がある。そこに企業が社員を動員して連れていく。それを廃止しろと。こちらも事前投票させると言った。

だからこういう問題はアメリカから見ると―アーミテージには会っていろいろ議論している。こういう固定式の基地はいらないと言っている。移動式でいいと。ベクテルという世界有数の軍事企業がある。その副社長に会った。その副社長はもう移動式をデザインしている。アーミテージは、こんな固定式はもう役に立たない、ミサイルのターゲットになりやすいと。移動式ならターゲットになりにくい。関西震災のようなことが起こったらすぐ対応できる。しかし日本国憲法のもとで武器輸出を禁止している。憲法に違反するおそれがあるから移動式だと憲法に違反する。移動式だと憲法に違反するから船を持ってきて引っ張ってくればいいと。アメリカ側としてはそんな基地は廃棄したほうがいいと。すぐ替わりを作るのではなく、普天間は、日本政府がアメリカ政府に正式に要請さえすればすぐ返してもらえると。キッシンジャーなんかも論文に書いている。

そういう論文がね、こういうふうに、こうして論文がアメリカの学者や軍事専門家が書いた論文が一杯ある。僕らは片っ端から集めて訳をして中味をチェックしている。そうするといろんな人が僕らの味方をしている。こういうのが7つくらいあって、これだけ多くの人が僕らを支援している。だから僕らは強く替わりの基地はいらないと言っている。(アーミテージ、キッシンジャー、ケイトー研究所、軍事関係者も普天間代替基地はいらないと言っている)それどころか在日米軍基地も撤退させる、今の安保条約も平和友好条約に変えなさいということをケイトー研究所がアメリカの議会に勧告書を出していて、そこのダグラス・バンドーという上級研究員の文を読んでね、見せたわけですよ、基地を。今ごろアメリカはこんなバカなことをしていると。すぐアメリカに帰って「沖縄はアメリカの軍事的植民地だ」という論文を発表して、こちらを応援してくれた。

ワシントンに「国防情報センター」Defense Information Centerというのがあって所長が歴代アメリカの海軍提督がなる。そこにラロックといって1974年ごろに大騒ぎをさせた男がいる。日本は非核三原則を作っていて、「核兵器を作らず持たず持ちこませず」となっている。しかしこのラロック情報センター所長がが「アメリカの軍艦が神戸港とかに入るとき核兵器を外して入るということはあり得ない」と言っている。日本はそれを、核兵器を積んだまま持ちこむのは非核三原則に反するといってそれで大騒ぎになった。あとでライシャワーがちゃんと日本政府と約束ができているということをばらしたわけですよ。そのラロックさんを僕が沖縄に呼んで、見てもらったわけですよ。ラロックさんはカメラマンを連れてきた。ビデオにとって基地の状態を、アメリカに行って半年ぐらい全国を回ってこちらを応援してくれた。

今、本土の国会では沖縄に理解のある女性議員たちが何名かいる。この人たちでも、大田さん、沖縄に基地が集中しているけれど地政学的に沖縄は有利だからやむを得ないという言い方をする。ラロックが来たとき、地政学の話をしたら、笑っていた。自分は韓国と北朝鮮からひと月前に戻ってきたばかりだと。で、地政学的に言うと、北朝鮮が脅威だとすれば韓国の米兵を増やしたほうがいいと。米兵増やす必要もない。北朝鮮の軍事力をはるかに上回る韓国の軍事力がある。米兵なんかいらない。国民所得は数倍。人口も二倍以上。もし北が本当に脅威だったら、地政学的には北九州のほうがはるかにいい。朝鮮半島に近いほうがいい。今でも「地政学」をもちだす人は国会にたくさんいる。

「壁の向こうに友人を作り」、「民衆を信頼すること」
どうして沖縄問題がこんなに解決が難しいかというと、民主主義といって、民主主義はすべて多数決。772名の国会議員のうち沖縄は9名。今は一人が自民党。以前は半分が自民党だった。半分は政府の言いなり。野党側の5名しかまともに主張できない。772対5となる。本土の政治家が沖縄の問題を自らの問題として考えるならいいが、他府県の政治家は自分の選挙区のことばかりだから、沖縄のことやっても自分の票に全く有利にならないといって相手にしない。多数決原理で決めるから常に沖縄は差別されるという構造になっている。これをくつがえすにはどうすればいいかというのが苦労する。

ノルウェーに国際平和研究所を作ったヨハン・ガルトングを沖縄に招いた。国際大学にランドール(W.T.Randall)というアメリカ人教授がいて、牧師だが、義憤を感じて「勝手に農民の土地を取り上げてけしからん」と言って、教会の牧師でありながら教会に反旗を翻す言動をし、教会から追放された。幸いに沖縄国際大学の助教授として迎え入れられた。この人が国際シンポジウムをやったときに事務局長だから、ガルトング先生を呼ぼうと。「あんな偉い先生が沖縄なんかに来ませんよ」というからだめもとで招待したら喜んで来ると。新聞社がランドール教授と対談させた。基地問題で日米両政府の権力の壁が厚すぎるといい、あなただったらどうするかと聞いた。ガルトング先生は笑って「大田さん、これはもう解決したも同然です。自分がノルウェーから来ている。基地問題について沖縄にまで来て話している。沖縄は孤立していない。世界中が沖縄を知っている。これで解決したも同じだ。」

復帰する前にイギリスの有名なレーニン賞もらったダニロ・ドルチ。イタリアのシチリア出身。労働組合のリーダー。シチリアはマフィアの多いところで、労働組合は狙われる。彼の同志がマフィアに殺された。その家族を全部引き取って養っているという偉い人。レーニン賞もらって日本に来た。『世界』が二人対談してくれと言われて対談した。僕が同じこと言った。「あなたが沖縄の知事だったら壁だらけでどうやってこの壁を突き崩して明るいところに出ようかと思う。あなたならどうする」笑って、「政府権力というのは簡単に崩せない。正面から崩そうと思ってもダメ。そういう壁の前にふさがっていたら、壁の向こう側に一杯友人を作りなさい。そうすれば壁はないと同じ。」労働組合のリーダーだけに「民衆を信頼しなさい」と言った。ガルトングも「民衆を信頼しなさい」といった。

東京にガンジーの孫が教会みたいなのを作っていて、その人が沖縄に来た。僕がアメリカの大学にいるときにちょうどマーティン・ルサー・キングがバスボイコットを始めたところだった。いつも彼の言動をフォローしていた。僕自身南部で差別受けた。プエルトリコから密航してきたと思われて監獄にぶちこまれた。フロリダにジャクソンビルというところがあって沖縄の軍政府に勤めていた高校の教師が、ミス・チニーといって、僕はここの英語学校を出て彼女の通訳をしていたのですよ。アメリカに留学したら彼女は喜んで招待してくれた。僕はうっかりしてパスポートを寄宿舎に置いて出かけた。当時密航がはやっていて警官がはりついていて、電車から降りた途端彼女が迎えに来ている。パスポート見せろと言われたがなかった。ミス・チニーは「この人は私の客だ」と言うが警察は聞かない。警察のところに金網をはった監獄みたいなところがあってそこに一晩入れられた。いくら説明してもきかないから、翌日になって、疑うのなら僕の大学に問い合わせるといいと言った。問い合わせて、確かにうちの学生だということで解放された。

トイレも、white(白人), colored(有色人種)と別れている。南部の方は。僕も colored のところに行ったらお前はあそこだ、とwhite のところに行かされた。差別ということについて関心を持つようになった。大学のときエジプトの学生も差別された。インド人の中には黒人より黒い人がいる。ロビンソンという名前の男で、部屋探しに行ってくれというので行くと、「部屋はもう決まった」と追っ払われる。色が黒いので。何軒か断られ、農林大臣長官ロビンソンというが、インドから来たのが、俺は同じ名前なのに差別されると怒ってた。地域の新聞 Daily Orange というのがあって、その新聞に白人が犯罪をおかしたら白人とは書かない。黒人が犯罪したら名前と年齢と、黒人であるということを書く。エジプトとインドと私の3人で、ゼミのときに問題として持ち出した。2カ月ほどがんがんやって、教授が裁定してそうだ、差別だということになって新聞社にやめさせたことがある。

そういう関係もあってキングの言動に注目していた。大学終えたばかりで。いかにガンジーを尊敬しているかがわかった。アメリカから帰って一人でインドに渡ってガンジーの足跡をたどった。その(ガンジーの)孫が、沖縄にきた。あなたが沖縄の知事だったらどう解決しますかと聞き、彼は、いくつかの解決策を言った。あまり参考にはならなかったが最後に「民衆を信頼しなさい」と言った。3人が同じこと言った。アメリカでジャーナリズムを専攻したとき、大衆はどちらにもくっついていく烏合の衆だと教わっていた。しかしこの3人は Trust common people と言っている。非常に印象に残った。ダニロ・ドルチに会ったのはちょうどベルリンの壁が崩れる前だった。東ドイツも西ドイツも壁があっても行き来した。壁が実質なくなった。この人の先見の明に感心した。それでアメリカに行くとなるべくたくさん友だちを作るようにした。今ここにこうやって沖縄を支持してくれる論文が600件くらいある。それを今訳している。日本、中国、シンガポールからも支持する手紙が来ていて22万通くらいある。したがってこの問題というのはずいぶん広がっている。

沖縄研究の世界での拡がり、英語発信の大切さ
僕が驚いているのは、欧米の若い研究者が沖縄の最近の研究をしているのが多い。ここに300冊、500冊の修士、博士論文がある。レベル高い。「ヌチドウ宝」の言葉があるでしょう。ロンドン大学の学生が来た。これは矢野輝雄(やの・てるお)これは県立芸大の教授が『沖縄芸能史話』という本を書いていて、山里永吉という有名な絵描き・劇作家がいた。この人は戦前沖縄の出身としてははじめて中央で知られる人だった。「首里城明け渡し」という劇を書いて最後に尚泰王が無理やり明治政府に引っ張られて東京に移った。首里の市民たちが土下座して尚泰王を見送る。そのとき尚泰王が「戦世(いくさゆん)終(しま)てぃ 弥勒世(みるくゆん)やがてぃ 嘆(なじ)くなよ臣下 命(ぬち)どぅ宝」(戦争も終わってやがて平和な時代が来るからそう嘆き悲しまず命を大事にして)ということを尚泰王の口を借りて言わせたと、いうことになっていると。

ロンドン大の学生は違うのではないかと言う。蔡温という18世紀の政治家、行政家のこと沖縄の三大偉人の一人蔡温全集に「五教条」と修身読本みたいなのがある。有名な本。これを引っ張り出して開けて、原典じゃないかという。漢文で「何ものにも優り命が大事である。他のものは失っても取り戻せるが命だけは取り戻せない。だから命を特に大事にしなさい」とある。イギリスの青年が、これが原典じゃないかと言うから参った。この青年は今、金武町にいる。基地問題には興味がないと言って、金武町700年の歴史について書いている。ロンドンから来たオクスフォードの女子学生が僕のところに来て「琉球最後の国王の尚泰王について論文が書きたい」というので尚泰王実録といって膨大な量の記録がある。僕らも全部読んだことはない。それはもう全部目を通したという。尚泰王が麹町にすんだが、そのとき何を食べていたか、何を着ていたか、和装だったのか、言葉は何を話していたのか知りたい。生きざまを書きたいと。日本人でそんな人はいない。

『沖縄と小笠原』という雑誌があり、沖縄協会というのができた。外務省の一外郭団体。東大の茅(かや)総長が会長、歴代大学の総長が会長・・・その協会から、『沖縄と小笠原』という雑誌を出している。その中に尚泰王の女中の思い出話を書いていたのを思いだした。それを見なさいと言ったら非常に喜んで行った。その後は知らない。グルジアから来た女の子が参議院の事務所に来た。金沢大学の博士論文を書いているという。沖縄がテーマ。なんでグルジア?世界中に沖縄があるから。一つの国の中には必ず社会がいくつもあり、マジョリティとマイノリティがいて、マイノリティはいつも圧迫、差別される。沖縄がそう。世界中にある。自分の国もそう。ロシアから常にいじめられている。沖縄を勉強すれば自分の国がわかると。字も綺麗で文章も日本人より上手。

沖縄の三味線について博士号取った人など一人もいなかったが、ロンドンには3人もいる。その一人は東京芸大出て沖縄芸大に入ってロンドンに帰った。・・・本当にレベル高い、NZ,イタリア、ドイツ。アメリカはもちろん。イギリスが以外とびっくりするほど多い。この前グレン・フックといってシェフィールズ大学のアジア研究の人。名護に来てマコーマックさんがシンポやったとき沖縄に来た。奥さんが日本人。自宅に呼ばれた。沖縄一のおいしい泡盛をあげたらそれをトランクに入れて途中で割れた、と。

(欧米で沖縄研究が進んでいる。)非常に嬉しいが、そういう人たちとキープアップするには英語であることが大事。沖縄問題を英語で発信できる人たちがいたらいいなと思う。アメリカ・ワシントンに3名ほどいる。そういう人がここにいるといいけど。島袋マリアという子がいてLAで peace fighter というのがいる。ワシントンには嘉数というのがいて必死になって沖縄の問題を手伝ってくれる。沖縄にいてくれれば。いろんな発表や論文もあるけどとてもヒマがなくて英訳できない。もう一人ジャンプという人が。父親を知っている。彼のうちに呼ばれた。息子がマイアミに住んでいる。メールが来た。父親がよく話をしていたと言われた。あちこちに友人が増えてきている。あんたたちがそういうことをやってくれるのは有難い。助かる。一番嬉しいのはそれ。国内だけでやってもだめ。アメリカの世論を動かさないと。

アメリカの良心的知識人
アメリカ人は、個人個人はいい人たちが多い。マンスフィールドやフルブライトとよく会った。去年ワシントンに行ったときも Mrs. Fulbright と一緒だった。マンスフィールドも世話してくれる。駐日大使として沖縄に来たときに大学から5名教官呼ばれて領事館で話した。アイオワ大学で教授をしていたと。お互いざっくばらんに話し合おうと言ってくれた。一人ずつ意見を。僕はやっぱりアメリカの人たちが沖縄の土地を強制的に取り上げたのは一番反米感情を煽ると。沖縄は8割が農家。農家は土地がないと生きていけない。一番大事な土地を取り上げるのはよくない。沖縄の移民を引き受けるところはないかと応募したらボリビアが。ボリビアには500世帯単位で移住した。非常な苦労し、「棄民」と言われた。

大学院のときにハーリングという教授がいて、奄美大島の研究者だった。偶然ボリビアに行ったとき沖縄の移民の窮状ぶりを観た。びっくりして写真を撮った。大学の図書館に寄贈してあると。ハーリング先生が大濱早稲田総長を自宅に招き食事。沖縄の大変な苦労を語った。写真観て僕もショック。県にいるとき、ボリビアから体育館、文化会館、図書館といわれ、県は金ないが、苦労知ってるから、目つぶって金だし、募金もして、銀行にも手伝ってもらって、三つとも作ってあげた。

そのときに僕がマンスフィールドさんに土地を取り上げていることが反米感情かっているということと、基地の産業が一大産業だと、県民の総所得の53%は基地だったが72年には15%、それから数万人の従業員がいたがどんどん首きって復帰のころには1万人くらい。今は8600人。基地収入は総所得の4.6%多いとき5.4.平均5%以下。復帰前は基地産業論を唱えていたが今は言わなくなっていると主張した。マンスフィールド、今どうなっているかと聞かれる。フルブライト、病気を押して。当事者がアメリカに来るのがいい。日本ばかりに任せていたら解決しないと。フルブライトの奥さんも沖縄に関心持ってやってくれる。そういう人たちがいるということが励みになっている。

海兵隊グアム・テニアン移転について
アメリカにはこういう人がいるということを知らすようにしているが本土のマスコミは全く知ろうとせず、安保マフィアといわれるジョセフ・ナイ、カート・キャンベル(いつもけんかしてる。ペリー長官の国防次官補代理していた。今国防次官補。)とかマイケル・グリーンとかいうジャパン・ハンドラーといわれている連中。日本のマスコミはこういう人の発言ばかりとらえ、僕らが知っている知性的な論文に目を向けない。共同、朝日、毎日、来るがいくら言っても聞かない。書くけど東京の本部で抑えられる。こういうのを見せてもろくに発表できない。僕らからすると1966年に計画を作ってできなかったのが今息を吹き返してしかもこれを作るための一兆、一兆5千億かかると言われる。グアムに移すのも1兆円といわれている、さらにこっちに一兆5千億も。

県にいたとき、ペンタゴンからの帰りにグアムに寄った。知事、議会議長、アンダーウッドという議員に会ったら大歓迎したいとのことだった。アンダーセン基地という普天間の13倍の基地がガラ空き。B52の基地がガラ空き。だからグアムに移すのが一番いいというわけです。そうしてやったらアンダーウッド下院議員を沖縄に招き普天間見せた。帰ってから3500人をまず引き受けましょうと言った。普天間には全部合わせても2500人しかいない。あと1000人も、と喜んでいたら、おそらく外務省、日本政府がちょっかい出したのでしょう、次会ったときにちょっかいが入って僕が困った状態になっているから、数字を出すのはやめようねというから、あ、いいですよ、あなたに迷惑をかけるのはしないからと。

僕は、グアムの住民が反対しなければいうことを条件に、グアムに移すということを主張した。チャモロ族の原住民が沖縄の労働者みたいに100名近く集まって座り込んでいるのを見た。グアムでね。そこに行ってなんで座り込んでいるんですかと聞いたら、リーダーは、自分たちの土地を強制的に取り上げ基地作って金払ってない、だから抗議していると。沖縄と似ていますねと言って、実は今グアム政府の帰りだが、知事、議長、下院議員は喜んで引き受けると言っているが皆さんどう思いますかと聞いた。そうしたら、金さえ払ってくれれば何の意義もないと言う。先月、今のカマチョ知事が沖縄に来た。キリスト教関係のランチョンがあって、グアムの女性運動家が沖縄に来て、高里鈴代というのが、基地を許さない女性の会、彼女と組んで、グアムに基地を移すのではなく廃棄すべきだという。

カマチョ知事に聞いた。この種の問題には必ず反対する人はいるが、圧倒的な多数は歓迎している。しかも内政問題だからみなさんが気にする必要はないと。廃棄するのを主張しているが、ダグラス・ラミスというアメリカ人がいる。津田塾で教えていた。元海兵隊員ですよ。彼の嫁さんが知念ウシといって、東大まで出ている。ウシなんて名前近代的でないのであまりない。年寄りには多い。戦前の沖縄の女性たちは日本化が進んでいるから恥ずかしがったので日本名をつけた。ラミスのワイフはわざとウシという名前を名乗っている。カマドゥー小の会というのを作っている。女性たちが。おばあちゃんたちの古い名前。基地包囲網をやっている。そのリーダーがラミスの嫁さん。ラミスがエッセイを発表し、基地を廃棄しろというのは聞こえはいいが海兵隊を解体しろということにつながる。外国の人がアメリカの海兵隊を解体しろというのは不可能である。むしろ基地を移せと言ったほうが解決策につながる。まさにその通り。

今、実は、アメリカは2005年に日米の再編実施に関する日米ロードマップというのを作った。その2カ月後アメリカの太平洋軍はグアムに、沖縄に替わる一大軍事拠点を作るということで計画を発表し去年の11月にグアムと北マリアナ諸島の環境調査をやっている。8000ページ。伊波君が言っているように、沖縄の普天間、ヘリ部隊も含めグアムに移すように書かれている。これを移してしまえば辺野古に作る必要ないと新聞記者にも言うが全然そのことを取り上げない。情けない限りです。共同ともあろうものが。毎日、朝日でさえも。毎日も朝日も反対の声が強いとかそういうことばかり書く。

Guam Pacific Daily News というのを取り寄せているが、グアムでは着々と進んでいる。今予算は保留しているが、これは切っているわけではなく、形がつくまでは予算は保留するというわけで、切ったわけじゃない。計画が進めばそれに応じて予算がつくことになっている。一番グアムに移すのが解決が早い。グアムも住民も沖縄戦と同じで非常に戦争で苦労している。そこはよく考えながら、日本側がインフラの整備をきちっとやれば。テニアンも、経済がよければ日本から観光客訪れる。74万人観光客いたのが今は40万人、経済的に苦しい。2400メートルの滑走路が4本ある。そのうち一本だけ米軍がときどき演習に使っている。あと3本はみな米軍のもの。そこに移したら沖縄のためにもテニアンのためにもなる。日本政府は相手にしない。日本に基地を置いとかないと抑止力にならないとか口実を作っているが、この論文みたらこれらの論文を見ても沖縄の海兵隊が抑止力なんて書いてあるの一つもない。主張しているが本土のマスコミは取り上げない。実態を英語で発表していくともっともっと理解も増えるし応援も増える。

基地問題は軍事問題ではなく、経済利権問題
(日本のマスコミが取り上げないのは辺野古に作りたい企業、マスコミ、官僚がつながっていますか)日本は非常に海兵隊が、米軍が沖縄と本土にいなければ自衛隊を増やすしかないというのがでてくる。今経済が厳しい。菅総理が消費税を上げようとする厳しい状況の中、という言い方するがこれも軍事学者が反論している。軍事問題と経済はじかに結びついていないと。中国は軍事増強しているが経済も伸びている、インドだって、軍事費増やしているが経済も発展している。自衛隊を増やすからと言ってそれが日本経済全体に与えるような影響はないという論文が出ている。革新の側は今も国民投票法案できて、憲法改正を恐れている。自衛隊増やすとなると憲法を変えないといけなくなって憲法が危ないと心配する。保守は自分の国は自分で守れ、軍需産業解禁にしろと言ってる。

アメリカは、アーミテージみたいに、こんな基地いらないというが、今になって憲法変えて集団的自衛権行使とか言ってる。彼は21世紀はメガフロートの時代といって移動式を言った。言いだしたのは日本の鉄鋼業界の渡辺っていう人が言いだしたと。ロバート・ハミルトンの記事に出ている。日本の鉄鋼業界がメガフロートということを言いだしてベクテルとかの軍需産業とか他の軍需産業と結んでやってる。アメリカに行ったときも商工会議所が会いたいということになって理事20名と会った。軍需産業の人間が絵を書いて僕のところに来て採用したらとか言う。僕は基地反対ということでアメリカに来てるんですよと言った。

これもね、日本の鉄鋼業界が、21世紀はメガフロートの時代とかいって、とにかく鉄を使うものを作りたい。安全保障問題とは違うと。アメリカには米軍を撤退させる、自衛隊を増やせと言う人がいる半面、スタックポールといって-ハワイの太平洋司令部の参謀長をした人がいて、どうして米軍が沖縄にいるかと聞かれ「瓶の蓋」と言った。自衛隊がこれ以上増えないようにするためにと。そうしてこういう論文に瓶の蓋というのがよく出てくるんですよ。日本にこれ以上自衛隊を増やしてはならん、アメリカの脅威になるということで。「瓶の蓋」と言ったから日本では大騒ぎになった。そのために米軍が沖縄にいるのかと。

北緯30度線の分断と、沖縄軍事植民地化の真実
歴史を見て驚いたのは、1941年の12月に太平洋戦争がはじまり、半年後に、国防総省と国務省は、沖縄と奄美諸島を北緯30度線で切り離すことを話し初めていた。なぜ沖縄を切り離そうとしたか。国際政治学者の本なんかを読むと、戦争に負けたから沖縄と奄美大島切り離されたと書いてある。戦争始めたのも沖縄じゃないし負けたのも沖縄だけでなく日本全体なのに、どうして沖縄を切り離すのか、たえず疑問だった。9名の日本の学者、政治学者、7名のアメリカの学者と共同研究をやった。ハワイとかアメリカ本国で会議をやった。坂本義和という教授に呼ばれ僕も入った。誰もこの問いに答えられない。

5年目にやっと見つかった。アチソンという国務長官が議会で証言している。北緯30度という線を引き、奄美大島の北の線、屋久島と口の島の間。奄美大島は鹿児島で、沖縄ではない。なぜ30度か。アチソンは議会で言っている。北緯30度線は大和民族と沖縄民族の境目の線だと。民族の違いを。つまり沖縄人は日本人じゃないと。それから奄美まで取った理由は、琉球王国の領土だった。その範囲が北緯30度となる。将来沖縄を軍事基地化するからなるべく広く取っておきたい。言語学者に聞いたら、大和言語と沖縄言語の境目が北緯30度。それから渡良瀬という生物学者がいて、北緯30度以北、以南の生態系も全然違うと、渡良瀬ラインと呼ばれている。

韓国の在日朝鮮人の作家が、日本人はおめでたいと言われる。38度線で朝鮮半島は分断された。日本は幸いそういう風に二分されなかったと。朝鮮半島をかわいそうがっている。切り離したのは日本人だよと。それなのに切り離されてかわいそうというのはおめでたいじゃないか。軍部が防衛の範囲を決めるために38度以北は関東軍が守る、以南は日本から行った軍が守ると。防衛をする範囲の線が38度線で、日本の軍隊がやった。北緯30度というのはどういう意味か、軍隊から見ると。30度以南は南西諸島防衛軍、沖縄守備軍、北は「天皇のおわします皇土」つまり純粋な日本だ。南はそうでないところ。北は本土防衛軍と名付けていた。なぜ沖縄は切り離されたか。結局、廃藩置県行われる、沖縄は明治12年、他府県に8年遅れて行われる。

George H Kerr といって『琉球の歴史』という本を書いている。英文でThe History of an Island People 英文で書かれた立派な本、ロングセラーとなっている。これが以前『琉球の歴史』という日本語に訳された。あれは自分の本じゃないと言っている。軍政府の司令官が悪用して沖縄を日本から切り離すために使った、だから自分の本じゃないと言っている。この中で日本の廃藩置県と沖縄の廃藩置県は根本的に違うと。他府県は同一文化、同一言語、同一民族を基礎にしている。近代的な国民国家を作るためにやった。ところが沖縄の廃藩置県は違う。日本の同胞ではなく、日本を守るための南の門をかためるために軍隊を常駐せしめることが目的だった。沖縄の人ではなく土がほしかったと書いている。そうすると廃藩置県に軍隊を沖縄に常駐させようとした。熊本の第六師団。明治政府が。沖縄は抵抗した。

沖縄は15世紀からずっと軍隊を持たなかった。猛烈に反対。沖縄の国務代表していた代表が明治政府と沖縄の間にはさまれ東京で悶死した。使者が。いうこと聞かないと軍事力で聞かせた。だから「琉球処分」と言われる。他府県ではそういうことはなかった。中国との関係が数百年続いていたので中国の外務相の李鴻章という人が、日本政府がこういう風に沖縄を強制的に併合したら次は台湾を取るだろうと。朝鮮に攻め入って朝鮮も取るだろう。中国も侵略するだろうと予言して、本当になった。そうなると戦後のアメリカの占領政策というのは、日本の非軍事化、非武装化だった。軍閥を解体、軍需産業を解体、その手段として民主化した。沖縄がアジア侵略の基地にされたということで、二度とアジア侵略をさせない、アメリカの脅威にならせないためには基地になった沖縄を切り離して非軍事化した方が安心できると、沖縄を担保にして日本の非軍事化を図った。非軍事化して25年ごとに国際機関にチェックさせるということ、国際機関の管理下に任せるということを話し合っていた。いざ戦争に負けて進駐軍が入ってきたとき、30万、40万たらずの軍隊で来た。38万。日本にはまだ440万人の正規の軍隊がいた。これが反乱を起こしたら大変なことになる。連合国の司令官が心配。政府の内部では沖縄を非軍事化しようとして話し合っていたのに、マッカーサーが「沖縄に軍隊を置いておけばいつでも対応できる」ということで沖縄を軍事化した。アメリカの軍隊を置くようになった。まさに瓶の蓋になる。日本軍が反乱したら、自衛隊が増えてきたら抑えるために米軍がいると。

マッカーサーが、沖縄人は日本人でないと。だから基地化しようが日本から切り離そうが、沖縄の人にしてみれば日本の圧政から解放されて嬉しいであろうと。日本本土の人は、資源の貧しい沖縄を持っていても何の足しにもならないから喜ぶだろうと。1947年の段階で。軍政府の連中は、沖縄人は日本人じゃないということばかり言っている。キャラウェイ高等弁務官は離日政策の一環として首里の博物館を作った。戦後の問題もそういうことほとんど知らない。1968年までは県知事は全部米軍の司令官が任命していた。知事くらい自分たちの選挙で選ぼうということで、主席公選運動というのが起こって、1968年に初めて実現。その前からライシャワーが立法院の議員増やしてCIAの金をぶちこみ、基地賛成の議員を増やそうということで1968年の主席公選のときは米軍政府と日本政府が組んで72万ドルをぶちこんで革新をつぶそうとした。日本政府は88万ドルをぶちこんで、アメリカの機密文書に全部名前まで出ている。こういうふうに沖縄の政治は全部手のひらの上に乗せられてやってきた。こういうのをアメリカの機密文書を調べたからわかるのであって、取っていなければわからない。いかに記録というのが大事か。アメリカから取り寄せる大事さ。身にしみている。

(以上)

注:辺野古基地建設計画の1960年代以来の変遷については
大田昌秀著『こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題-最善・最短の解決策』(同時代社、2010年)197-230頁を参照。


平和の礎
「鉄血勤皇隊」に動員され亡くなった大田さんの学友たちを追悼する沖縄師範健児の塔の後方に建つ、「平和の像」。大田さんが中心となって製作、建立したもの。右側の少年が「友情」を、中央の少年が「師弟愛」を、左の少年が「永遠の平和」を象徴している。




Thursday, June 08, 2017

「普通」への疑問と、思考の「窓」にいざなう新刊: 『ダグラス・ラミスの思想自選集』A New Collection of Essays by Douglas Lummis

萬書房から出たてほやほやの本、『ダグラス・ラミスの思想自選集 「普通」の不思議さ』を紹介します。


C・ダグラス・ラミス Charles Douglas Lummis
C・Douglas Lummis
1936年米国カリフォルニア州サンフランシスコ生まれ。1958-61年米海兵隊将校。その後、カリフォルニア大学バークレー本校で西洋政治思想を学び、米日両国でベトナム戦争反対運動に関わり、1972年博士号を取得。UCサンタクルーズ、西ワシントン州立大学、デイープスプリングズ大学、津田塾大学などで教える。現在、沖縄キリスト教大学客員教授。「平和を求める退役軍人の会琉球・沖縄国際支部」(VFP-ROCK)代表。著作は『イデオロギーとしての英会話』『内なる外国』『ラデイカル・デモクラシー』『憲法は政府に対する命令である』『ガンジーの危険な憲法案』ほか多数。翻訳書に『もし世界が100人の村だったら』など。

この本は1970年代から現在にいたるまでダグさんがいろいろな媒体に書いたり学会で発表してきたりした論文・エッセイのコレクションです。各章の最後にはダグさん自身による「ミニ解題」があり、これを楽しみに読むことができます。「なぜ今この文を」と思う人はまずこの「解題」から読んでもいいのではないでしょうか。

この本を総括して一言でこれ!と形容するのは難しいが、著者はこう言います。
この本に収録した文章にはいろいろなテーマがあるが、共通点もある。「普通」のことを別の角度から見ると「不思議」に見える、という点だ。自分が生まれ育った文化の外に住んでいた人間によって書かれたせいか、「外」という共通テーマもある。(「まえがき」より)
ここは、日本出身だがいまのところの人生の4割、成人してからの半分以上の時間をカナダで生きてきた自分には共感できる部分です。

ダグラス・ラミスさんの文を読むたびに思うことは、どきっとして自分をふりかえらざるを得ないような言葉が散りばめられていることです。ごまかしを許さない。どこかでわかっている、見えているのに直面することを避けている、または言葉が見つからず表現できていないような真実をどん、と目の前に出してくるので読者は逃げられなくなります。また、ああやっと、あのもやもやが言葉になった!と胸のすく思いもするのです。そういう部分に線を引きながら読みました。

全12章のタイトルは、
アメリカを想像する――
◆イデオロギーとしての英会話 
日本を想像する――
◆『菊と刀』再考〈パートⅡ〉 
「外」を想像する――
◆影の学問、窓の学問
進歩を想像する――
◆イデオロギーとしてのアメリカ近代化論
戦争を放棄するⅠ――
◆ラディカルな日本国憲法――国家の権力から国民の権力へ
戦争を放棄するⅡ――
◆自衛隊はカンボジアに何をしに行ったか――司令官は語る
戦争を「放棄」する――
◆要石
戦争をするⅠ――
◆暴力国家
戦争をするⅡ――
◆イラクで考えたこと
自由を創立するⅠ――
◆ラディカルな民主主義
自由を創立するⅡ――
◆意見書「天皇制・君が代について」
戦争を放棄するⅢ――
◆想像しうる最小の軍隊――ガンジーのインド憲法私案と日本の平和憲法

マジメに冒頭から読む必要はなく、自分にとってピンと気になる章から読んでいけばいいのではないでしょうか。

私にとって一番心に残る章は最後のガンジーの章でした。12章のうち唯一、この本が日本語では初出ということです。これはダグさんも私も執筆や翻訳をしてきているオンライン英語誌『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』に2010年1月掲載された


の日本語訳です。

著者は前書きで、このガンジーの章が、「自由、平等、産業社会、差別、戦争と平和、日本国憲法、暴力国家」と、「それぞれのテーマの枠組みとなっている、植民地・被植民地の構造」という、この本に取り上げたテーマが出てくるのでこの本の結論となり得る章だとも言っています。

私が深く考えさせられたのはこの章で(この章だけでないですが)著者が論じている「交戦権」の問題です。日本国憲法9条2項において日本国に禁じられているこの「交戦権」は、「人殺しと見なされることなく兵士たちが殺人行為を行う権利」のことです。国家が軍隊を持って戦争となれば正当に人を殺すことができるなど当然、と思う人が多いかもしれませんがこれがなぜ当然なのでしょうか。

「交戦権」は「マックス・ウェーバーが『正当な暴力を行使する権利』と呼んだものの一つ(その他は警察権と司法権)」であるということです。「ウェーバーは正当な暴力を独占することこそ近代国家の決定的な特徴」だと考えました。

著者はこのような力をどうして私たちは国家に与えてしまっているのか、常識になってしまっているのかにたいして二つの前提を提供しており、第一は「正当な暴力を行使する権限を国家に与えれば、国家は私たち国民を守るためにその権限を行使するはずだ」、第二は、その国家が、「その国家自体の主権を守るためにその権限を行使するはずだ」ということです。著者はその両方を「思い込み」と言います。

この二つの「思い込み」=「仮説」が本当かどうか検証するのが20世紀であったと。20世紀のはじめに主権国家の数は55だったのが世紀の終わりには193になっていました。そして私たちが国家というものに正当の暴力を与えた結果がどうだったかというと、20世紀に国家というものが殺した人の数は2億人に上ったといいます(R・J・ラムルの統計)。その中で群を抜いて多かったのは兵士ではなく民間人でした。そして国家の殺りくの被害者の多数派はその国家にとっての外国人ではなく自国民だったということです。

「国家は最大の殺りく者であり、その犠牲者の多くは自国民なのである。」(283ページ)

その国の市民を守るために合法的に殺しの権利を与えた軍隊が実はその国の市民を殺す結果となっていたのです。

ガンジーは、本来暴力的な組織である国家とは、根源的に異なる政治体制を築くことを構想しました。

ガンジーは独立後の独自の憲法私案を創っており、その核心は、独立後その役割を果たし終えたインド国民会議は国家権力から手を引き、村々に戻るように提案しようとしていたことでした。

その案はガンジーの暗殺とともに消え去りました。インド政府は「誰に遠慮することもなく軍備を整え、『現実的な』政治手法に則って軍事力を行使することができた」のです。著者はこの章の「解題」でこのように書いています。
ガンジーについてのいろいろな本や論文を読むと、面白いことがわかった。ガンジーの憲法案は「知られていない」というよりも、多くの著述家が知っているが触れたくない、ということだった。ガンジーを、国の創立者、独立したインドの父として持ち上げるためには、その国の憲法をいやがったという事実は大きな邪魔だろう。だから、その困った事実からなるべく目をそらし、ガンジーの神話を作っている。
★★★★★

読者に、「普通」への驚きーーつまり、さまざまな気づきと、思考と行動への「窓」にいざなう一冊と思います。

@PeacePhilosophy

当ブログ関連投稿:

どうして誰も「交戦権」を語らないのか:ダグラス・ラミス


Wednesday, June 07, 2017

『バンクーバー新報』5月26日より:青山学院大学中野昌宏さんインタビュー(日本国憲法のルーツについて)An Interview with Professor Nakano Masahiro on the Formation of Japan's Post-War Constitution

カナダ・バンクーバー地元の日本語紙『バンクーバー新報』2017年5月26日号より許可を得て転載。バンク―バー9条の会、ピース・フィロソフィー・センター共催の、中野昌宏さん(青山学院大学教授)を迎えた「日本国憲法のルーツを学ぶシリーズ」最終回の第3回は「ハーバート・ノーマンと日本の近代化」7月8日(土)1時半からです。「ハーバート・ノーマンコレクション」を持つUBCのあるバンク―バーならではのトピック、参加ご希望の方はこの記事の末尾にある申し込み用メールアドレスにメールください。(会場は、参加申し込みをした人に直接案内します)Aoyama Gakuin University professor Nakano Masahiro, currently a visiting professor at UBC, will give a talk on E. Herbert Norman and his involvement with the birth of Japan's post-war constitution, at 1:30 PM, July 8. It will be in Japanese. For inquiry, email peacephilosophycentre@gmail.com.



Tuesday, May 30, 2017

「現代の特高警察」である公安が「現代の治安維持法」である共謀罪を手にしたらどうなるか―――「週刊金曜日」共謀罪特集転載

5月26日『週刊金曜日』の「共謀罪」特集は重要です。転載許可を得てここに掲載します。★週刊金曜日の許可なしでこれらの記事画像は使わないでください。この投稿リンクを拡散することで広めてください。

「共謀罪」は5月23日衆議院本会議で賛成多数により可決されてしまいました。この記事で成澤宗男氏が書くように、共謀罪がなくとも警察・公安は日常的に市民活動の監視を行っており、ここにリストアップされているような異常な弾圧行為を行ってきています。成澤氏によると公安とは戦前の特高警察をGHQが再組織してできた機関。「戦前に拷問や獄中の虐待で194人を殺害し1503人を獄中での病死に追いやった」という集団が温存されました。その公安が「治安維持法」と酷似する「共謀罪」を手にしたら、すでに行われているこのような違憲行為・不当弾圧がますます増えるでしょう。海渡雄一弁護士はいまからでも反対世論を盛り上げれば廃案の希望はあると言います。この投稿のリンクを拡散してください。http://peacephilosophy.blogspot.ca/2017/05/blog-post_30.html



★週刊金曜日の許可なしでこれらの記事画像を転送・転載したりしないでください。この記事の内容は、このページのリンクを拡散することで広めてください。

Saturday, May 27, 2017

「北朝鮮」を悪魔のように言う日本の人たち、この歴史を知っていますか:ブルース・カミングス「朝鮮半島の血塗られた歴史」Bruce Cumings: A Murderous History of Korea: a Japanese translation

米国や日本のメディアはもっぱら「北朝鮮」を悪者のように扱いますが、その見方は一方的とはいえないでしょうか?日本や米国は朝鮮半島で何をしてきたのでしょうか?なぜ、誰のせいで朝鮮半島は分断されたのでしょうか?朝鮮を植民地支配した日本の歴史的責任は何なのでしょうか?朝鮮半島の「核の脅威」とはそもそも誰の脅威なのでしょうか?私たち日本人は好戦的な政府と一緒にこの国の「脅威」ばかりをあげつらうのでいいのでしょうか?

シカゴ大学のブルース・カミングス教授による「ロンドン・レビュー・オブ・ブックス」の記事

A Murderous History of Korea
https://www.lrb.co.uk/v39/n10/bruce-cumings/a-murderous-history-of-korea

の日本語訳を紹介します。
★訳はアップ後修正することがあります。このまま転載せずに、リンクを広めてください。
★5月31日、訳を微修正しております。

朝鮮半島の血塗られた歴史

ブルース・カミングス
Bruce Cumings

翻訳:酒井泰幸

40年以上前、私と同じように米国国立公文書館で朝鮮半島関係の文書を閲覧していた外交史家と、私は昼食を共にした。その時ふと彼が口にしたのは、朝鮮半島の非武装中立地帯(DMZ)が世界の終末の爆心地になるかもしれないと時々思うことだった。今年の4月、北朝鮮のキム・インリョン国連次席大使は「熱核戦争(水爆戦争)がいつ起きてもおかしくない危険な状況」を警告した。数日後、トランプ大統領はロイター通信に「わが国は北朝鮮と大きな、大きな紛争になるかもしれない」と語った。アメリカの大気科学者は、比較的小規模な核戦争でさえ、世界中の人々を危機にさらすほどの煤煙と粉塵を巻き上げることを示した。「たとえばインドとパキスタンの地域戦争は、オゾン層破壊と気候変動を引き起こし、ヨーロッパ、米国、その他の地域に劇的な損害を与える可能性がある。」我々はどうしてこんな状況に至ってしまったのだろうか?いったいなぜ、(トランプと金正恩[キム・ジョンウン]の両方ともそうだが)言うことの半分がたぶん嘘で、思い上がって虚栄心の強い自己陶酔者が、世界の平和だけでなく、おそらく地球の未来までも、その手に握るようになったのだろうか?我々がここに立ち至ったのは、アメリカ人の側が歴史を直視せず、北朝鮮の指導者が同じ歴史を見るレーザー光線のような鋭い眼差しを理解することを嫌う姿勢が凝り固まっているからだ。

北朝鮮は4月25日に朝鮮人民軍の創設85周年の記念日を祝った。世界的緊張が極まる中、24時間放送のテレビ番組が平壌(ピョンヤン)でのパレードを放送した。朝鮮民主主義人民共和国の建国が1948年なのに、なぜ85周年だったのかという疑問に関心を向けたジャーナリストはいなかったようだ。本当は何を祝っていたかというと、それは中国東北部で朝鮮人が抗日ゲリラ闘争を始めた日で、公式には1932年4月25日とされている。1910年に日本が朝鮮半島を併合した後、国境を越えて逃げた多くの朝鮮人の中に、金日成(キム・イルソン)の両親がいたのだが、独立運動が武力抵抗へと変わったのは、1932年3月に日本が傀儡国家の満州国を建国した後だった。金日成と同志たちが開始した運動はそこから苦難を伴いながら13年間続くことになり、ついに日本は1945年の降伏条件の一環として朝鮮半島の支配権を手放した。これが北朝鮮指導者の正当性を自国民に示す拠り所となっている。指導者たちは祖国への植民者に抵抗した革命的国家主義者である。朝鮮戦争のとき米空軍の猛攻で全ての都市が壊滅し、国民が地下壕に住み、そこで働き学ぶことを余儀なくされたとき、指導者たちは再び抵抗した。それ以来、指導者たちは米国への抵抗を続けている。そして指導者たちは西側の共産主義の崩壊にも抵抗した。今年の9月で、朝鮮民主主義人民共和国が存続した年月の長さはソビエト連邦と肩を並べる。だが、北朝鮮は共産主義国というよりも、これまで世界に例を見ない軍事国家だ。わずか2千5百万の人口から徴兵した北朝鮮の人民軍は、130万の兵士を擁し世界第4位の大きさだ。これをわずかに上回る第3位の軍隊は、偶然にも140万の兵士を擁するアメリカ軍だ。北朝鮮の成人のほとんどは、男女を問わず長期間をこの人民軍で過ごす。予備兵の人数に上限があるとすれば、それは北朝鮮の人口だけだ。

金日成の抗日活動の物語は、北朝鮮では伝説と誇張に包まれているが、韓国では全面的に否定されている。しかし明らかに彼は英雄だった。気温が時には零下50度にも達する、想像できる限り最も過酷な冬の環境の中、彼は10年間戦ったのだ。最近の研究で判明したのは、満州国内の抗日パルチザンは、多くは中国の幹部に統率されていたとはいえ(金日成は中国共産党員だった)、大部分が朝鮮人だったことだ。別働隊を指揮していた他の朝鮮人抗日パルチザンの中には、崔庸健(チェ・ヨンゴン)、金策(キム・チェク)、崔賢(チェ・ヒョン)がいた。彼らは1945年に平壌へ戻ると、新体制の中核となった。彼らの子孫が現在の膨大なエリート層を構成している。現政府でナンバー2の地位にある崔龍海(チェ・リョンヘ)は、崔賢(チェ・ヒョン)の息子だ。

金日成の名声を期せずして高めたのは日本だった。日本の新聞は金日成と朝鮮人売国奴の戦いを書き立てた。金日成を追い詰めて殺すために日本が雇った朝鮮人売国奴を指揮していたのは、野副昌德(のぞえ・しょうとく)少将で、帝国陸軍の「金日成特別師団」(独立守備隊)を統率していた。1940年4月に、野副の部下は金日成の最初の妻と考えられたキム・ヘソンを捕らえた。日本は彼女を使って金日成を隠れ家からおびき出そうとしたが上手く行かず、間もなく彼女を殺害した。前田タカシが率いたもうひとつの日本の特別警察部隊には、多くの朝鮮人が含まれていた。1940年3月、前田討伐隊は金日成の抗日パルチザンに襲撃され、両者とも重大な人的損害を被った。前田は金日成を2週間近く追跡した末、金日成の罠にかかった。金日成は前田隊の兵士150人に対し250人の抗日パルチザンを投入し、前田と58人の日本人の他、行動を共にしていた17人を殺害した。また13人を捕虜にし、大量の武器弾薬を奪った。

1939年9月、ヒトラーがポーランドに侵攻していた頃、日本は関東軍6大隊に加え、満州国の軍と警察あわせて2万人を動員して、研究者のス・デソクが「大討伐」と呼ぶ作戦を開始した。これは、金日成と崔賢(チェ・ヒョン)が率いる抗日パルチザンに対する、6カ月にわたる討伐作戦だった。1940年9月には、さらに大規模な兵力で中国と朝鮮の抗日パルチザンに対する鎮圧作戦に乗り出した。「討伐作戦は1941年3月末まで1年8カ月にわたって行われた。金日成が率いた者たちを除き、反逆者は完全に撃滅された。反逆者の頭目たちは銃殺されるか服従を強要された」とス・デソクは書く。

長期にわたった日本による反乱鎮圧のための取り組みで重要な役割を果たした一人が、岸信介(きし・のぶすけ)だった。彼は経営する軍需工場で名をなした。米国占領期にA級戦犯容疑者となったが、戦後日本の建国の父の一人、そして長らく日本を支配する自由民主党の創設者の一人となった。岸は1957年から1960年まで2期にわたって首相を務めた。日本の現首相、安倍晋三は岸の孫で、他のどの日本の指導者にもまして岸を崇敬している。トランプが2月11日にマー・ア・ラゴで安倍と夕食を共にしていた時、食事の途中で狙ったように飛び込んできたメッセージは、平壌からのものだった。北朝鮮は新型固体燃料ミサイルを移動式発射台から打ち上げる実験に成功した。金日成と岸は互いの孫を通して再び会うこととなった。80年が経ち、北朝鮮と日本の間には、悪意に満ちた和解不能の敵意が、今も空中を漂っている。

西側諸国では、北朝鮮の扱いは一方的で、歴史にもとづくものではない。人名さえ正しく理解できる人は誰もいない。安倍のフロリダ訪問で、トランプは安倍を「シンゾウ総理」と呼んだ。4月29日に、CNNの有名な解説者アナ・ナヴァッロは、「ウン坊やは狂人だ」と言った。北朝鮮の悪魔化は、政党の区別を超え、意識下に大量に蓄えられた人種差別主義でオリエンタリズム(東洋を不気味で異質なものと規定する西洋の姿勢)のイメージに基づいている。北朝鮮人にはアメリカ流の現実の定義を拒絶する正当な理由があるかもしれないということを、誰も受け入れようとしない。圧倒的な米国の力を前に、北朝鮮人がアメリカの世界観を拒絶するとき、たいていは無関心、時には傲慢な振る舞いとして現れるが、このために北朝鮮は理不尽で制御不能、したがって根本的に危険な国だと映る。

だがもしアメリカの評論家や政治家が朝鮮半島の歴史を知らないとしても、少なくとも自国の歴史は知っているべきだ。米国の朝鮮半島への関与は第二次世界大戦の終盤に始まった。このとき米国国務省の計画立案者が恐れたのは、朝鮮半島北部に進入しつつあったソビエト兵が、中国東北部で日本と戦っていた3万人に上る朝鮮人抗日パルチザンを連れてくることだった。戦後朝鮮半島問題について最も強い発言力をアメリカが確保できるよう、国務省は完全な軍事占領の検討を始めた。それは短期間の占領かもしれないが、報告資料にあるように「かなりの長期間」にわたる占領になる可能性もあった。要するに、「米国の相対的な力の有効性が弱まる」ことを防ぐために、他のどの勢力も朝鮮半島に関与させるべきではないということだった。議会と米国民はこのことについて何も知らされなかった。計画立案者の何人かは親日派で、それまで日本が朝鮮半島を植民地支配することに異議を唱えたことがなく、これからは平和的で従順な国として戦後日本を復興したいと望んでいた。彼らは、ソビエトの朝鮮半島占領によってこの目標が阻まれ、太平洋地域の戦後安全保障を害することになるのを恐れた。この論法に従って、長崎が完全に破壊された翌日に、米国陸軍省のジョン・J・マクロイはディーン・ラスクと同僚を別室に呼び、朝鮮半島をどのように分割するか考えさせた。彼らは38度線を選び、3週間後には2万5千人のアメリカ戦闘部隊が朝鮮半島南部に入り、軍事政権を樹立した。

占領は3年続いた。アメリカの占領を支えるため、アメリカは旧日本関係者で金目当てに働く人を最後の一人まで探し出して全て雇い入れた。その中には朴正熙(パク・チョンヒ)や金載圭(キム・ジェギュ)のような日本軍の元将校が含まれ、この二人はソウルのアメリカ陸軍士官学校を1946年に卒業した。(1961年の軍事クーデターの後、朴は韓国の大統領になった。朴政権は15年続いたが、大韓民国中央情報部(KCIA)の代表だった元学友の金載圭が、ある夜の会食で朴を射殺した。)1948年にアメリカが去った後、38度線を挟んだ境界線地帯は、もう一人の帝国陸軍の元将校、金錫源(キム・ソグォン/日本名:金山錫源[かねやま・しゃくげん])の指揮下に入った。韓国の度重なる北朝鮮への侵入の後、1950年6月25日に全面的な内戦が勃発したのも驚くには当たらなかった。韓国の指導者は安全保障に不安を感じ「北風」の脅威を意識しているが、韓国自体の中では、左翼や共産主義といくらかでも関係を疑われる人々に対する国家の暴力が荒れ狂っていた。通常戦争が始まってから最初の数カ月で、韓国政府の手により少なくとも30万人が拘留・処刑されるか単に失踪したことを、歴史学者のキム・フンジュンが明らかにした。1950年6月以前に10万から20万の人々が韓国政府または米占領軍の手による政治的暴力の結果として命を落としたことを、私自身の研究とジョン・メリルの研究が示している。ファン・ソギョンの新刊書「朝鮮半島の危機的な戦争(Korea’s Grievous War)」は、保管資料の調査、集団墓地の記録、死者の親族と大阪に脱出した亡命者とのインタビューで構成されているが、本書で彼女は半島南部沿岸の村々での大量虐殺を記録している。要するに、大韓民国は冷戦初期で最も血塗られた独裁国家の一つだった。大虐殺の加害者の多くは、かつて日本のために手を汚し、その後アメリカによって復権した人々だった。

アメリカは自国を戦後朝鮮半島史の単なる傍観者と見ることを好む。それは常に受け身で表現される。「朝鮮半島は1945年に分割された」というとき、戦後外交政策に最も強い影響力を持つマクロイとラスクの2人が、誰にも相談することなく線引きを行ったという事実には全く言及しない。米国が韓国陸軍の作戦指揮権を握っていた時期に、1961年と1980年の二度にわたる軍事クーデターが韓国で起きている。韓国政治へ介入したと非難されないように、アメリカは手をこまぬいていた。1988年以降の韓国の、安定した民主社会と活気ある経済のおかげで、そこに至る40年の歴史を事実だと認める必要性は握りつぶされてしまったようだ。その時代なら、北朝鮮の独裁政治はソウルの軍政に対抗するために必要だったと主張するのは、道理にかなったことだったかもしれない。北朝鮮が、よく言えば歩く時代錯誤、悪く言えば卑劣な専制政治のように見られるのは、現在の文脈においてだけである。この25年間、世界は北朝鮮の核兵器について不安を煽られ続けてきたが、1958年に朝鮮半島へ核兵器を持ち込んだのは米国だったということを指摘する人はほとんどいない。ジョージ・H・W・ブッシュ(父ブッシュ)政権下で戦術核兵器の引き揚げが世界的に起きるまで、何百発もの核兵器が韓国に保管されていた。だが、1991年以来すべての米政権は北朝鮮を挑発してきた。核兵器搭載可能な爆撃機を韓国領空で頻繁に飛行させ、いつでもオハイオ級原子力潜水艦が北朝鮮を数時間で破壊できる。現在、2万8千人の米軍が韓国に駐留し、核武装能力を持った北朝鮮との勝者なき膠着状態を長期化させている。実際に占領は「かなりの長期間」となったが、80年目に入る壮大な戦略的失敗の結果でもある。評論家の常套句では、米政府は北朝鮮を真面目に受け取ることができないが、北朝鮮は一度ならず手段を講じてきた。そしてアメリカはどう対処して良いのかを知らない。

トランプと彼の国家安全保障チームに言わせれば、現在の危機が生じたのは、北朝鮮でアメリカの中心地を攻撃できる大陸間弾道ミサイルの完成が目前に迫っているからだ。専門家の多くは、ミサイルが使用可能になるまであと4〜5年かかると考えているが、だからといって大した違いがあるのだろうか?北朝鮮は1998年に最初の長距離ロケットを実験し、朝鮮民主主義人民共和国の建国50周年記念日を祝った。最初の中距離ミサイル実験は1992年のことで、射程に沿って数百キロ飛行し目標に的中した。北朝鮮が現在保有する固体燃料を使ったさらに高度な移動式中距離ミサイルは、発見されにくく発射しやすい。朝鮮半島と日本に住む約2億人がこのミサイルの射程内に入る。言うまでもなく、中国の数億人と、米国外で唯一恒久的に駐留している沖縄の米国海兵隊師団も、この射程に入る。北朝鮮のミサイルに実際に核弾頭を装着できるかどうかは定かでないが、それが実現し、怒りにまかせて発射ボタンに手をかけたなら、即座に北朝鮮はコリン・パウエルが印象深く「練炭」と呼んだものに成り果てるだろう。

だが、パウエル元帥が重々承知していたように、既にアメリカは北朝鮮を練炭に変えていたのだ。映画監督のクリス・マルケルが北朝鮮を訪れたのは1957年のことで、米国の絨毯爆撃が終わってから4年が経過していた。「皆殺しがこの大地を蹂躙した。家々もろとも灰になったものを誰が数えられよう?…国が人為的な境界線で2つに引き裂かれ、両側で相容れないプロパガンダが繰り広げられるとき、この戦争の原因はどこにあるかを問うのは無邪気というものだ。境界線こそが戦争なのだ」と彼は書いた。(境界線を引いたのがアメリカだとはいえ)アメリカの言い分とは異質な、あの戦争の基本的な真実を認識した彼は、次のように述べた。「北朝鮮人がアメリカ人に対して一般的に持つ考えは奇妙なものかもしれないが、朝鮮戦争の終盤にアメリカに住んでいた身としては、当時流布されていた戦闘描写の愚かさと残酷趣味に肩を並べるものは他にないと、私は言わざるを得ない。『アカの火あぶり、こんがりカリカリ。(The Reds burn, roast and toast.)』」

そもそも最初から、アメリカの政策は朝鮮民主主義人民共和国に苦難を与えて支配する選択肢を順繰りに実行してきた。1950年以来実施している制裁措置で、好ましい結果が得られたという証拠はない。1948年以来実施している不承認も、好ましい結果は伴っていない。1950年の終わりに米軍が北朝鮮に侵攻したとき試みた政権転覆は、中国との戦争につながっただけだった。そして、効果を上げた唯一の方法である直接対話は、北朝鮮の全てのプルトニウム関連施設を1994年から2002年まで8年にわたり凍結することに成功し、ミサイルの廃棄を実現する一歩手前まで行っていた。5月1日に、ドナルド・トランプはブルームバーグ・ニュースに次のように語った。「私が[金正恩(キム・ジョンウン)と]会談するのが適切であれば、絶対にそうします。喜んでそうします。」これが真剣なコメントだったかどうかは分からないし、トランプがまたニュースのネタになろうとして言っただけかもしれない。だがいずれにせよ、彼は疑いなく異端者だ。米国の政府中心部に借りを作っていない大統領は、1945年以来では初めてだ。彼は金正恩氏と席を並べ、地球を救うことができるかもしれない。

(以上)

★5月26日、イタリアでの日米首脳会談において北朝鮮について「対話ではなく圧力をとの認識で一致」と日本メディアは一斉に報道していますが、報道を見ていて、わざわざ「対話ではなく」なんていうかな、と思いました。そこでホワイトハウスの発表(下記1)を見てみたら、案の定、「圧力を強める」とは言っていますが「対話でなく」などと言っていません。トランプ大統領は5月1日に、金正恩とは適切な状況でなら会うことは光栄だと言ったばかりです。日本のメディアの情報源はこの外務省の発表でしょう。「両首脳は,北朝鮮問題に関して政策のすりあわせを行い,今は対話ではなく圧力をかけていくことが必要であること,中国の役割が重要であることを改めて確認した。」と言っています。「すりあわせ」という言葉は、意見の不一致を示唆します。おそらく「対話ではなく」というのは安倍首相の意見だったのでしょう。ホワイトハウスの発表をみるかぎりこの点において「一致」していたとは思えません。

1)
The White House
Office of the Press Secretary
For Immediate ReleaseMay 26, 2017

Readout of President Donald J. Trump’s Meeting with Prime Minister Shinzo Abe of Japan

President Donald J. Trump met today with Prime Minister Shinzo Abe of Japan in Taormina, Italy, before the start of the G7 Summit.  In the wake of the horrific terrorist attack at the Manchester Arena in the United Kingdom, the two leaders reaffirmed their shared resolve to cooperate to the fullest extent possible to counter terrorist threats.

The President said the United States will work with Japan and the Republic of Korea, as well as our other allies and partners around the world, to increase pressure on North Korea and demonstrate that North Korea’s current path is not sustainable.  President Trump and Prime Minister Abe agreed their teams would cooperate to enhance sanctions on North Korea, including by identifying and sanctioning entities that support North Korea’s ballistic missile and nuclear programs.  They also agreed to further strengthen the alliance between the United States and Japan, to further each country’s capability to deter and defend against threats from North Korea.


Monday, May 22, 2017

翁長知事に埋立承認「撤回」を再度求める:うるま市島ぐるみ会議

元裁判官の仲宗根勇氏らが共同代表をつとめる、うるま市「島ぐるみ会議」が5月26日に再度翁長雄志沖縄県知事に対し辺野古の埋立承認「撤回」の要請を行います。以下、仲宗根氏がフェースブックで公表している要請書の内容を転載します。下方の関連記事リンク集も御覧ください。

5月27日追記:26日の要請行動について仲宗根さんがFBで報告しています。
基地対策統括監の談話は、4か月以上前1月13日に撤回要請した時の知事公室長と寸分違わぬものであった。この「時」の流れのもつ意味がわかっているであろうか。本日、我々の要請時の30分前に開いた定例記者会見で知事は、6月末の県議会の同意を得て工事の差し止め訴訟を提起すると述べた。それまで工事を延々と進めさせる気だ。本気であれば、過半数をもつオナガ与党に臨時会を招集させて1日のうちに同意の決議はできるはずだ。県は承認撤回の避雷針・世論操縦のパフォーマンスとして今また、工事の差し止め訴訟を口にしているのではないか。工事差し止め訴訟は工事開始直前・直後に提訴するのが常識だ。工事が相当程度進んだ後の提訴は、ほぼ敗訴の運命にある。敗訴前提の提訴であれば、ぬらりくらり今年中にでも提訴すればいい。仲宗根勇さんのフェースブックより
琉球新報報道 

5月18日、辺野古での抗議行動においてスピーチする仲宗根勇さん。
(写真提供: Tamiko Heshiki)

(要請書ここから。事務局長の住所と電話番号は割愛してあります)

沖縄県知事                  平成29年5月26日 
翁長雄志殿
前知事の辺野古埋立承認行為の即時撤回を求める

要  請  書

                             うるま市「島ぐるみ会議」
                              共同代表:仲宗根勇・平安山英盛・兼城賢次
                                   照屋寛之・金城秀吉・上原政英
                                   照屋大河・山内末子
                              事務局長:伊芸佑得

要 請 事 項
前知事のした埋め立て承認の行政行為を、貴職において一刻も早く撤回して下さい。

要 請 理 由 
1 うるま市「島ぐるみ会議」は、貴職に対し今年早々の1月13日に今回と同様の承認撤回を要請しました。昨年12月20日に県の上告が棄却された違法確認訴訟について県の敗訴が確定した後、貴職が2015年10月13日にした埋め立て承認の取り消しを12月26日に取り消したため「承認」が復活し、和解で止まっていた工事が翌27日から再開され、汚濁防止膜の設置が進められる危機感からの要請でした。あれから4か月余が経過しました。その時対応した謝花喜一郎知事公室長は「要請の思いを強く受け止めている。猶予がないという認識はある。しっかりと知事に要請内容を伝え、県民の思いに応えたい」と述べました。

2 貴職は就任以来記者会見などで何度も「承認の撤回も視野に入れている」と表明し今年1月4日の年頭挨拶の中で、新基地建設阻止を県政の柱とされ、3月25日の辺野古集会に知事として初めて参加され「撤回を必ずやる」と明言し、県民の喝采を受けました。

3 政府は4月25日、埋め立て工事を開始し、抗議する県民を機動隊で実力排除して工事が進められ、後戻りできない事態が日一日と積み重ねられています。今後予想される撤回裁判を考慮すると、事態は一刻の猶予も許されない状態に立ち到りました。巷では承認撤回に動かない県に対し、不安と不信の感情が渦巻いています。

4 これまでの県の担当部局の説明では、撤回理由について法的検討を続けており、今後の工事の推移も見ながら検討するとのことです。しかし、今後は工事進行とともにこれまでの違法な工事が量的に増大するだけで、これまでと異なる新たな撤回理由は生じないはずです。10万票の大差で翁長雄志氏が当選した時点から、撤回理由のひとつとなる「民意」のほか、知事の指示不服従・協議義務違反、自然保護、文化財など国の責めに帰すべき撤回理由が両手で数えられないほど存在しています。

5 国は過去2回(2015年3月30日知事の海底変更作業の停止指示・10月27日承認取り消し)も行政不服審査法を悪用して効力の一時停止をした。国による撤回の効力停止を封ずる法的対抗措置も検討し、撤回と同時に実行してください。

(要請書ここまで)

これまでのこのブログでの関連投稿:

仲宗根勇: 沖縄差別の源流と「和解」をめぐる疑惑・今後の闘い

【重要】辺野古埋め立て「違法確認訴訟」最高裁で県が敗訴しても知事は判決を理由に埋立承認取消を取り消すことはできません/させてはいけません―元裁判官仲宗根勇氏との問答

辺野古違法確認訴訟:最高裁判決は翁長知事に埋立承認取消の取消を命じるものではない。

沖縄の環境団体、市民団体、翁長知事に一刻も早い埋立承認「撤回」を求める

緊急シンポジウム「沖縄はどうすべきか」 報告

翁長知事が予定する埋立承認「撤回」で止まる工事を止めたままにさせるために

以下は「沖縄タイムス」記事へのリンクです。

沖縄タイムス【辺野古 ただちに埋立承認撤回を】(上)(下)掲載

新垣論考を読んで-承認撤回と県民投票(上)】辺野古基地 撤回を先に 知事選以降 民意揺るがず

【新垣論考を読んで-承認撤回と県民投票(下)】知事「決断」のみ国縛る 「回避」基地阻止と逆行



Friday, May 12, 2017

日系カナダ人からオンタリオ州ウィン首相への手紙:私たち日系カナダ人は、オンタリオ州議会のBILL79(南京大虐殺を記憶する日の設立)を支持します。A Letter to Premier Wynne: We Japanese Canadians Support Bill 79, an Act to proclaim the Nanjing Massacre Commemorative Day

【日系カナダ人からオンタリオ州ウィン首相への手紙】A Letter from Japanese Canadians to Ontario's Premier Kathleen Wynne (Japanese translation provided) 

日本語仮訳をつけましたので御覧ください。
自らを日本人、日系人、日系カナダ人、あるいは日系カナダ人社会の一員と自認する人であれば署名できます。(特記はありませんがカナダに住んでいることが前提とされていると思います)
署名はここから:

小説Obasan(邦題:「失われた祖国」)で有名な作家のジョイ・コガワ氏、日系カナダ人強制収容のリドレス(過去の不正を正す)運動に貢献したロイ・ミキ氏など、日系カナダ人社会で影響力を持つ人たちがたくさん署名しています。いまのところの署名者一覧はこのレターの最後にあります。
https://docs.google.com/document/d/1xvuNylgt_HxDkZLjqUx1WeF_3SzaQFAQ6Ih2rSsEdcc/pub 


Letter to the Premier:
オンタリオ州 キャスリーン・ウイン首相への手紙


Japanese Canadians for Bill 79
BILL79を支持する日系カナダ人より


This letter offers a Japanese Canadian voice in support of Bill 79 in the Ontario provincial legislature. If you identify as Japanese, Japanese Canadian, or Nikkei, or are part of a Japanese Canadian community, we encourage you to sign on to the letter here before Monday, May 15th.
この手紙は、オンタリオ州議会におけるBILL79を支持する日系カナダ人の声を届けるものです。ご自分を日本人、日系カナダ人、「ニッケイ」、または日系カナダ人社会の一員と自認していましたら、この手紙に5月15日までにサインしてもらうようお願いします。


(以下がレターです)

Dear Premier Wynne, ウイン首相へ
We are a diverse group of Japanese Canadians writing to you in support of Bill 79 (An Act to proclaim the Nanjing Massacre Commemorative Day). We wish to express our support for the bill for the following reasons:私達は、BILL79(南京大虐殺を記憶する日を宣言する法案)を支持する多様な背景を持つ日系カナダ人のグループとして首相に手紙を書いています。私たちは以下の理由によりこの法案を支持します。
1. The Nanjing Massacre of 1937 is a historical fact. Preserving this history helps us to learn from the past, and to support calls for justice in the present. 1937年に起きた南京大虐殺は歴史的事実です。この歴史を保存することは過去から学び、現在のさまざまな正義への訴えを支持することに役立ちます。 
2. Many Chinese, Korean, and other Asian Canadian individuals and organizations support Bill 79, because it gives voice to their communities’ experiences of grave injustice. We wish to stand in solidarity with them, in the same way that many of them stood in solidarity with us in our struggle for Japanese Canadian redress in the 1980s.[1] 多くのチャイニーズ系、コリア系、他のアジア系のカナダ人の個人や団体は、自分たちのコミュニティーが経験した過酷な不正義に声を与えるという理由から、BILL79を支持しています。 これらのコミュニティーの人たちが、1980年代の日系カナダ人のリドレスへのたたかいにおいて私たちと連帯したように、私たちもこの人たちと連帯したいと思っています。 [注1]
3. Some have argued that Bill 79 will incite intolerance against Japanese Canadians. We believe this argument is unfounded: in fact,similar memorial days commemorating the Holocaust (1998) and the Ukrainian Holodomor (2009) in Ontario have encouraged learning and created opportunities for reconciliation, rather than promoting intolerance. BLL79が、日系カナダ人に対し不寛容を駆り立てるであろうという人がいますが、私たちはこの主張は根拠のないものと見ています-実際に、オンタリオ州では類似の記念日がホロコースト(1998年制定)ウクライナのホロドモール(2009年制定)について制定されており、それらの記念日は学びを促進し、不寛容ではなく和解の機会を創造してきています。 
4. Some have also argued that Bill 79 deals with a foreign issue, one that does not concern Ontarians; yet many Japanese and Asian Canadians in this province have strong personal ties to the history of war in Asia. As long as Ontarians are affected by this history and how it is remembered, Bill 79 remains very much a local concern. BILL79は外国の事柄を扱っているからオンタリオ州住民が関与するものではないと主張する人もいます。しかしこの州の多くの日系、アジア系カナダ人たちはアジアの戦争の歴史に個人的な強いつながりを持っています。オンタリオ州住民がこの歴史と、この歴史がどう記憶されるかに影響を受ける限りは、BILL79は多いに地元が関与する問題であると言えるでしょう。 
5. We believe that acknowledging the past is a necessary first step toward reconciliation in the present. As Japanese Canadians, we feel that supporting the commemoration of the Nanjing Massacre will lay the groundwork for reconciliation between Japanese and wider Asian communities, in Ontario and beyond.私たちは、過去を認めることは現在の和解につながる第一歩であると信じています。日系カナダ人として、南京大虐殺の日を記憶していくことは、オンタリオ州の日系と他のアジア系のコミュニティー間に、さらにそれを超えて、和解の土台固めをするものと感じています。
We recognise that Bill 79 deals with a history that many find uncomfortable and divisive. Yet avoiding or suppressing this history only makes it more painful, and deepens divisions between us. By acknowledging history instead, Bill 79 creates much-needed space for dialogue, understanding, and empathy, and signals hope for reconciliation for present and future generations. We therefore hope that your government and our society will join us in supporting Bill 79.
私たちは、BILL79が扱う歴史の一章が、多くの人にとって居心地が悪く、意見が分かれると思うものであることは認識しています。しかし、この歴史を避けたり抑圧したりすることは、より痛みと分断を深くする結果となります。BILL79は、この歴史を認めることによって、求められている対話、理解、共感のスペースを創造し、現在と未来の世代に和解への希望のシグナルを送るものです。以上の理由から、オンタリオ州政府と、私たちの社会が、私たちのBILL79への支持に加わることを望みます。

1 The Korean Canadian Cultural Association of Metropolitan Toronto, which has endorsed Bill 79, was part of the National Coalition for Japanese Canadian Redress. Key members of the Toronto and London chapters of the Chinese Canadian National Council, which was also part of the National Coalition, have supported the bill as well.
注1:BILL79を支持する The  Korean Canadian Cultural Association of Metropolitan Toronto (メトロポリタントロント・コリア系カナダ人文化協会)は、日系カナダ人のリドレスを支援する全国連合に加入していました。やはりこの連合に加入していたChinese Canadian National Council (チャイニーズ系カナダ人全国評議会)のトロントとロンドン(オンタリオ州)支部の主要メンバーたちも、BILL79を支持しています。

(以上)

(日本語訳は仮訳です。日本語文と原文と齟齬がある場合は原文を正規のものとして扱ってください)

Sunday, May 07, 2017

「岡まさはる記念長崎平和資料館」理事長・高實康稔さんを偲ぶ Remembering Yasunori TAKAZANE, director of Oka Masaharu Memorial Nagasaki Peace Museum

尊敬する「岡まさはる記念長崎平和資料館」の高實康稔(たかざね・やすのり)理事長が4月7日亡くなったときき、4月28日、長崎を訪ねました。父方のルーツのある長崎は私にとって特別な場所でしたが、ここ10年は、アメリカン大学&立命館大学「広島・長崎平和の旅」の通訳・コーディネーターとして8月7-10日は長崎で過ごしてきました。長崎原爆の朝鮮人被爆者問題をはじめ、大日本帝国の侵略と植民支配の歴史をつづる「岡まさはる資料館」は私たちの旅の参加者50余名は毎年訪れ、広島・長崎の原爆とその被害を、大日本帝国の歴史全体の中で理解する試みをしてきました。8月9日の朝は、長崎市の式典の前に長崎原爆朝鮮人犠牲者の追悼碑の前で開く「早朝集会」では高實氏はいつも入念に用意したスピーチを行い、その内容はこのブログでも紹介してきました(昨年のものはここ)。今回長崎新聞に対して話した問題意識も、高實さんと「岡まさはる資料館」から学んだことがあればこそのことです。長崎を訪れる人は、長崎駅から歩いていける、有名な「二十六聖人殉教地」のすぐ近くにある「岡まさはる資料館」をぜひ訪れてください。2013年オリバー・ストーン監督が訪れその重要性を実感、「東京にこそこのような資料館があるべきだ」と言っています。5月7日には、高實さんとの「お別れの会」が長崎市内で開かれ、250人の人が集まったときいています。そこで読まれたストーン監督のメッセージは
私達の長崎の歴史家が逝ってしまったことを聞いて悲しく思います。高實さんは素晴らしい方で、私達全員にとって手本となる人でした。謙虚な方であったことを記憶しており、私たちが岡まさはる資料館に行ったことを高實さんが高く評価してくれたことを聞いて光栄に思います。 -オリバー・ストーン
以下、5月6日の長崎新聞に掲載された私のインタビューを長崎新聞の許可を得て転載します。


Tuesday, May 02, 2017

琉球新報「分断を超えて 今、本土から見つめる4.28」シリーズ: 乗松聡子「差別やめる歩みを-加害の認識ないヤマト」Satoko Oka Norimatsu in Ryukyu Shimpo: Mainland Japanese Must Recognize Their Responsibility for Okinawa

An English version of this article is available HERE.

台湾・沖縄・日本の旅を終えてカナダに戻ったところです。台湾では4月18日、中央研究院(Academia Sinica) 社会学研究所で沖縄の現状について地元の研究者対象に話をしました。沖縄では、4月22日、沖縄大学にて『オール沖縄を越えて-島々渡し平和世論を世界へ』(シンクタンク・コア主催)で、石垣島の山里節子氏、宮古島の石嶺香織市議などと共に列島の軍事化に抵抗する道を探りました。23日は沖縄国際大学にて「大田昌秀氏2017年ノーベル平和賞ノミネート記念学習会」(「沖縄の人びとにノーベル平和賞を」実行委員会主催)で石原昌家、高良鉄美両氏と、大田昌秀氏のノーベル賞ノミネートの意義を語り合いました。

1952年、サンフランシスコ平和条約発効によって沖縄が切り離された4.28「屈辱の日」65周年にあたり、『琉球新報』に「日本本土」の筆者5人による記事シリーズ「分断を超えて 今、本土から見つめる4.28」が掲載されました。その一人として執筆させていただいた私の5月1日の記事、許可を得てここに転載します。

★6月1日追記:この記事の英語版を
Asia-Pacific Journal: Japan Focus に出しました。
リンクは:
http://apjjf.org/2017/11/Norimatsu.html

琉球新報社提供
注:この記事はこの投稿のURLを拡散することによって共有してください。琉球新報社の許可なしにこの記事イメージを使うことは禁じられています。